中村舞子・第9期女流球聖位

強く「勝ちたい」と思った初めての日

2017年4月

 

2017年4月9日、

アマNo.1ナインボールクイーン決定戦、

『第9期女流球聖戦』の

「女流球聖位決定戦」は、

フルセットのフルラックまでもつれこむ

大接戦となった。

 

ライブ中継の画面からも

両選手にのしかかるプレッシャーの大きさが

見えるかのようなメンタルゲームだった。

 

拮抗した勝負に終止符を打ったのは、

西日本代表(長崎)の中村舞子。

 

最後の5球取り切りは

どんな心理状況だったのかと尋ねた時、

本人の口からまず出た言葉は、

「ほとんど覚えてないんです」だった。

 

写真/JAPA

 

…………

 

Maiko Nakamura

出身・在住:長崎県

生年月:1973年11月

所属ビリヤード場:K’s 大村店(長崎)

所属クラブ:NPC

職業:主婦、K’s大村店スタッフ

プレーキュー:ハンタークラシック

ビリヤード歴:ト-タル約20年

女流球聖戦参加歴:今年が4回目

他の公式タイトル入賞歴:

2016年『全国アマチュアビリヤード都道府県選手権大会』

(愛媛プレ国体)2位

 

※中村選手は元JPBA、JBCプロ。

プロ時代は旧姓の「清田舞子」で、

ほぼ九州だけで活動していました。

3、4年前から競技ビリヤードを再開しています。

 

初めて尽くしの一日で全く気持ちに余裕がなかったです


 

――激闘から丸一日経ちました。

 

「試合が終わってそのまま長崎に帰って来てほとんど寝てないのですが、まだ興奮しているのか、今は眠たくないです。昨日は本当に初めて尽くしの一日で、全く気持ちの余裕もなく、球の配置も覚えてなくて……。『昨日、本当に試合があったのだろうか』『本当に自分が勝ったのだろうか』ぐらいの感じです」

 

――色々ありすぎて頭がパンクしてしまったような。

 

「そうなんです。情けないですけど、かなりテンパってしまって、自分が何をやっていたのか、どんな球を撞いていたのかよく覚えてなくて。覚えてるのは途中の7番でのジャンプとか、最後の9番カットを入れた瞬間ぐらい。配球を覚えてないというのは今までになかったことなので、どんだけ脳みそを酷使していたんだろうという……(笑)」

 

――そこまででしたか。

 

「とにかく目の前の球をどうにかしようとしか思ってなくて、全く冷静ではいられなかったんだと思います。普段は配置をぱっと見て覚えて、後から感想戦をやったりするんですけど……。ああ、ただ、すごく抜いてた(球を外した)なぁということは覚えてます(苦笑)」

 

――最後の5番からの取り切りもほとんど覚えてないですか?

 

「5番が割と易しい形で回ってきたのは覚えてますが、次はもう9番を一生懸命狙っている場面に繋がってます(笑)。その間、『とにかく入れなきゃ』ということと『撞くのが怖い』と思っていたことは覚えてます」

 

1球撞くのってこんなに怖いことなのかって


 

――なりふり構わず、まず入れるんだ、と。

 

「そうです。私はもともと出しに行きたい方なのですが、あと何球かで全てが決まるという場面で、応援に来てくださっている人も多くいる状況では、『カッコつけてる場合じゃない。全部イレイチでいいからとにかく入れないと』という感じでした。それと同時に、6番ぐらいから、抜きたくなさすぎて怖くなってきて、泣きそうになってしまいまして……。一生懸命泣くのをこらえて撞いているような状態でした。息も荒いし、腕も震えてるし、厚みも見えないし、もう全部がおかしくなっちゃってて。1球撞くのってこんなに怖いことなのかって」

 

――あのステージで撞いた人でなければわからない世界ですね。

 

「本当に初めてのことでした。普段、試合の時は割り切って撞くタイプだと思っています。負けたら負けたで仕方ないし、自分が球を抜いたら自分のせいだし、と。でも、あんなに『勝ちたい』と思ったのは初めてです。初めてのフォーマットで、初めてあんなに人に応援されて……あまりにも初めてのことがありすぎて、何も考えられる状況じゃなかったんだと思います。だから、最後の5球はイレイチを繋いだだけのような形でしたし、はたから見たらしょぼかったとは思いますが、よく入ってくれたなと本当に思ってます」

 

――9番を入れた瞬間は?

 

「『やっと終わった』というのが正直なところでした。応援の人達の顔を見たら喜んでくれていたので、『ああ、良かった、勝てたんだ』と。ガッツポーズが出るような精神状態では全くなかったです」

 

――自分らしい球撞きはできましたか?

 

前回のお話で、『なるべく守りには入りたくない』と言ったと思いますが、それはその通りできたと思います。自分らしく、攻めるところでは攻めてました。成功率は微妙な感じでしたし、周囲からは『攻めすぎ』と言われましたけど(笑)。ですから、反省点はいっぱいありますし、実力とは別に結果が付いて来てしまったという点では怖さがあります」

 

応援の方々の存在が一番大きかったと思います


 

――シーソーゲームで丸一日の長丁場となりました。最後まで頑張り切れた要因とは?

 

「応援の方がたくさんいらしていて、ずっと声を掛けていただき、支えてくださったのが一番大きかったと思います。自分の腕はどうしようもなかったので、もし一人でプレーしていたとしたら、第1セットを落とした時点でたぶんそのまま立ち直れなくて、下手したらストレートで負けていたんじゃないかと思います」

 

――セットの合間で栄養補給はしていましたか?

 

「緊張しすぎて何も喉を通らないような状態だったので、ちゃんとした食事は摂ってません。前の日もほとんど眠れず、朝ごはんも食べられなかったので、丸一日食事はしなかったです。ただ、人からいただいたブドウ糖のタブレットだけは何度も口にしていました。それと、お店(マグスミノエ)のソフトドリンクは何杯もいただきました。試合後もアドレナリンが出過ぎていたのか、しばらく食事をする気にならなかったです」

 

――気の早い話ですが、来年の防衛戦に向けて、これからの1年をどう過ごしていきたいと思っていますか?

 

「あそこまでの状態になってしまうのは、多分この先そうあることじゃないだろうと思います。だから、来年はもう少し落ち着いて撞けるんじゃないかと思いますし、そうしたいです。それと、この舞台を一度体験させていただいたので、体調管理なども含めて、色々なことをある程度は前もって考えて行動できるんじゃないかと思います」

 

――プレー面についてはいかがでしょうか?

 

「今回、試合をご覧いただいた通り、運が良かったとしか言いようがない展開でしたので、来年までにもうちょっと実力を付けて、試合にもたくさん出て、精神面も鍛えて、『そこそこは球聖に見合うのかな』と思っていただけるぐらいの内容をお見せできたらと思います。でも、焦ったところでどうしようもないので、せめて『撞いても撞かんでも一緒やったなぁ』っていう日だけは送らないようにして、毎日なにかしら自分の身になるような球を撞けたらいいなと思っています」

 

(了)

 

 

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