ダニエル・サンチェス 3度目の金メダル

「今がキャリア最高の時」

2017年10月

Daniel Sanchez
Daniel Sanchez

 

独立問題に揺れるスペイン・カタルーニャ州。

 

「スペインの至宝」サンチェスは、

そのカタルーニャのバルセロナに住んでいる。

 

近年は試合とビジネスでアジア、

特に韓国にいる時間が長くなり、

プレイヤーとしてもブランド広告塔としても、

非常に高い人気を博している。

 

そのサンチェスが9月中旬に来日。

『ビリヤード ヤマニ』でくつろいでいるところに

ロングインタビューをお願いした。

 

3度目の金メダル獲得を果たした

『2017ワールドゲームズ in ヴロツワフ』

ことに始まり、

キャロム大国・韓国、

母国・スペイン、

そして、愛する日本のことなど、

たっぷりと語ってもらった。

 

 

取材協力:ビリヤード ヤマニ(東京)

 

…………

 

Daniel Sanchez

1974年3月3日生

スペイン・バルセロナ在住

『3C世界選手権』優勝4回

『ワールドゲームズ3Cの部』金メダル3回

『3C欧州選手権』優勝2回

『3Cワールドカップ』優勝9回

『3Cスペイン選手権』優勝18回

ADAM JAPAN『MUSASHI』キュー使用

『DSビリヤード』主宰

 

…………

 

2017ワールドゲームズ in ヴロツワフ 金メダルマッチ ↓

 

やるべき時にやるべきことが出来たから勝てた

 

――『2017ワールドゲームズ in ヴロツワフ』で3度目の金メダル、おめでとうございます。

 

「とても嬉しいよ。ワールドゲームズに5回出て、3回目の金メダル。素晴らしいことだし、誇りに思っている。勝てるとは思ってなくて、実際、プレー内容はそんなに良くなかった。ただ、やるべき時にやるべきことが出来たから勝てたんだと思う」

 

――スリークッションの国際イベントでは初めて、『サイクロップ』ボールと『アンディ』クロス(ラシャ)が使われましたね。

 

「そうだね。ポケットのトーナメントではよく使われているみたいなんだけど、スリークッションでは初めてで、僕も初めて撞いた。慣れ親しんでいるもの(3C国際大会では『アラミス』ボールと『シモニス』ラシャがほとんど)とはちょっと違うなとは思ったけど、悪くはなかった。何の問題もなく撞けたよ」

 

――マルコ・ザネッティ(イタリア)との決勝戦は大逆転勝利でした(21キュー・40-33)。

 

「本当に難しい試合だった。世界トップの一人であるザネッティに、前半で大きくリードを許してしまってかなり苦しい状況だった。それでも諦めず一球一球トライしていくうちに後半はだいぶ良くなり、ラッキーショットも出てカムバックできた。当たり前のことだけど、内容も展開も全てが揃わないと優勝はできない」

 

――現地では日本選手団(梅田竜二、大井直幸、河原千尋)と一緒にいる時間があったようですね。

 

「『アポーペン』ナオユキオーイ!(笑) 彼は本当に面白くて一緒にいて楽しかった。彼がアポーペンをやったのは『プールマスターズ』で、そこで優勝したのがスペインのD・アルケイドだったから、スペインでもあの映像は話題になっていた。ビリヤード選手のインタビューであんなに笑ったものはないし、あんな日本人選手、見たことない(笑)。ワールドゲームズ開催期間中も、オーイはヴロツワフの街を歩いていて声を掛けられていた。すごいことだよ。そして、今回初めて彼の試合を見たんだけど上手かったね。アメリカ人的なパワービリヤードとは対極の、柔らかくて繊細なプレーをするんだなと思った」

 

――あなたは19歳でプロデビュー。もうすぐプロ25年になります。今までのキャリアで最も良かった時期とは?

 

「それは1年単位で? だとすると、2005年か2006年か、それかこの1年間だね。獲得タイトルで見ても、昨年秋から今年の夏までのこの1年が一番良いと思う。去年の11月に『世界選手権』(4度目)を勝って、『ローザンヌマスターズ』、『ワールドカップ・ルクソール戦』、『スーパーカップ』、そして『ワールドゲームズ』と数多くのビッグイベントで優勝できた。7つタイトルを獲ったはずだ。普通、1年で1つ~3つ勝てれば良い方だから、多分この1年が今までで一番勝っていると思う。ただ、知っての通り、スリークッションの大会は賞金がほとんどないか少額なので、そんなに稼いではいないよ(笑)。こないだ最も大きな賞金の『LGカップ』が韓国であったけど、グループラウンドで負けてしまったしね」

 

――では逆に、キャリアで最も悪かった時期は?

 

「(日本語で)ムズカシイ……(笑)。今でも試合で思うようにハイレベルで撞けなかった時には気持ちが落ち込んでいる。でも、特定の期間となると……『2001ワールドゲームズ秋田』の前の時期かな。あの頃は、良いプレーをしても勝てないということが続いていた。グッドプレイヤーと認められていたことは嬉しかったけど、僕には勝利が必要だった。状態もメンタリティも悪くはないのに、歯車が噛み合わず、結果が伴わなくて苛立ったりしていた。その繰り返しで、僕は競技活動に疲れ始め、『もう続けたくない』と思うようになった。『2001ワールドゲームズ秋田』があったのは、そんなギリギリの精神状態の時だった。そして、金メダルを獲得して全てが変わった。『競技の世界でやっていける』という自信が生まれ、内面が変わり、思考が変わり、世界が変わった」

 

――あの秋田の金メダルがそんな大きな意味を持っていたとは、全く知りませんでした。

 

「もし秋田で勝ててなかったら、僕は競技活動を止めていたかもしれない。いや、たぶんスペイン国内やヨーロッパでは続けていたと思うけど、世界を飛び回るような活動は休んでいたんじゃないかな。そうなるかどうかの分岐点があの秋田だったと思う。秋田で自信を取り戻した僕は、また競技活動を楽しめるようになっていった」

 

Photo : On the hill !
Photo : On the hill !

韓国ではビリヤードを愛している人が増えている

 

――近年は韓国によく行っていますね。試合とご自身のブランド『DS』のビジネスと、両方ですか?

 

「そう、試合もあるしビジネスもある。今、韓国は質・量ともに世界No.1のキャロムビリヤード大国だ。クラブ(ビリヤード場)がたくさんあり、プレイヤーがたくさんいて、試合も多い。僕は自分のビリヤードブランド『DSビリヤード』を韓国でも展開していて、順調に成果を上げている。ビリヤードテーブルやビリヤード用品がよく売れているよ。韓国では今もまだビリヤード場の新規出店が続いていて、一店舗オープンすると平均してテーブルが4台売れる。買ってくれたお店には、オープン記念イベントという形で、僕が訪れてプレーすることもある。6~8時間お客さんと撞いたりね。そういう仕事もあるので、韓国にいる時間は長いよ」

 

――プレーする実業家ですね。

 

「いやいや、そんな立派なものじゃない。共同経営者が何人かいてスタッフもいるので、基本的に韓国での業務はDSコリアの人達に任せている。それでも、事業規模はどんどん広がってきているから、契約プレイヤーやクラブとの関係や、経営面の話など、僕がやることも増えているけどね。(日本語で)イソガシイデス(笑)」

 

――1年で韓国にいる日数はどのぐらいですか?

 

「全て合わせると3ヶ月ぐらいかな。一度行くと、試合・イベントなども含めて1ヶ月ぐらい滞在することが多い。それに合わせて、こうやって日本にも来ることもある。今回は休憩しに来ているだけだけど(笑)、この後一旦韓国に戻って『ワールドカップ』に出て、また『ジャパンカップ』のために日本に来るよ」

 

――韓国のビリヤードマーケットは今も成長していますか? そしてまだ成長し続けると思いますか?

 

「僕の視点では、今も大きくなり続けているし、まだ伸びると思う。もちろんいつかは止まってしまうんだろうけど、一過性のブームで終わるのではなく、競技ビリヤードが文化として根付いて来ているのも感じている。毎回韓国を訪れるたびにプレイヤーが増えているし、僕が道を歩いていて声を掛けられたり、サインや記念撮影を求められることも増えている。韓国ではビリヤードが市民権を得て、ビリヤードを愛している人が増えていると感じるよ。それはテレビへの露出やプロモーションが上手く行っている証だと思う。24時間ビリヤードだけを放映している『ビリヤードTV』というチャンネルがあるし、それ以外のチャンネルでもビリヤードをよく流している」

 

――それは羨ましい。

 

「Me, too. (笑)スペインとも全く違う」

 

――今、韓国のトッププレイヤー層の厚みは世界一ですね。

 

「本当にそうだね。質も量も世界一だと思う。何年も前から、趙在浩(チョゼホ)や姜東窮(カンドンコン)、崔成源(チョソンウォン)といった選手達が世界的に活躍していて、その次の世代も、もっと下のジュニア世代も着実に育っている。DS所属選手であり、親交のある趙明優(チョミュンウ)も素晴らしいジュニア選手の一人だ。この選手層を見る限り、韓国の未来は明るい。この先、10年~20年の間にスリークッションのワールドランキングは大きく変わるだろう。T・ブロムダールやF・クードロンやD・ヤスパースがいなくなったら、時代はきっと……」

 

――まだあなたがいます。

 

「いや、僕もあと数年じゃないかな(笑)。この先、ワールドランキングの上位に韓国勢とベトナム勢が増えていくのは間違いない」

 

2016 Yamani Cup in Tokyo
2016 Yamani Cup in Tokyo

ユウスケ(森雄介)は優れた才能を持った選手だ

 

――スペインの若い世代は?

 

「昨日(2017年9月17日)、『3C世界ジュニア』で、カルロス・アンギータというスペイン選手が優勝した。彼を始め、人数はそんなに多くはないけど、スペインでも優秀なジュニアプレイヤーは育っている。その上の世代だと、ハビエル・パラソンなどがいる。でも、韓国とは層の厚さが全く比べ物にならない。ビリヤードは個人競技だけど、大会では決勝ラウンドにどの国の選手が何人残るかということが大事で、同じ国の人間が多ければ多いほど、単純に言ってその国にタイトルが行く可能性は高いからね。この先ますます韓国が優位になるだろう」

 

――世界ジュニアの準決勝ではディフェンディングチャンピオンの趙明優と、スペインのアンギータが対戦し、優勝候補の趙明優が負けました。

 

「複雑な気分だったよ。スペインのアンギータが優勝したことは嬉しいけど、目をかけている趙明優が負けたことは残念だった。勝負事に絶対はないけど、実績やプレーレベルは趙明優が上で、本人もそれをわかっていたから、試合後はだいぶ落ち込んでいたようだった。でも、彼にはこの先いくらでもタイトル獲得のチャンスがあるし、きっとすぐに立ち直るだろう」

 

――彼は昨年、17歳で日本の『ヤマニカップ』に勝つなど、すでに高い才能があることを示していますね。

 

「たしかに才能も素晴らしいものがあるけど、それにあぐらをかかず、ものすごく練習するところが彼の良いところだ。練習は裏切らないということだと思う」

 

――今のスペイン国内のビリヤード事情はどうでしょうか?

 

「良くないね。かつて都市部には大きくて良いクラブ(ビリヤード場)がいくつもあった。それが立ち行かなくなり、郊外に移転し、規模が小さくなっていく。そういうわかりやすい衰退の例があちこちに見られる。それはスペインだけじゃなく、ヨーロッパ各国が大なり小なりそんな状況だと思う。例外はトルコだ。トルコは今もビリヤード熱が高く、クラブも盛況のようだね」

 

――あなた自身はどこでどうやって練習しているんですか?

 

「若い頃はたくさん練習していたけど、今はスペインにいる時はあまりしていない。僕はバルセロナに住んでいるんだけど、今バルセロナにはクラブが3つしかなくて、どれも自宅からだいぶ遠い所にあるから、ほとんど行かないんだ。バルセロナにいる時は、自分の家・自分の街で、家族と静かに暮らしているよ。だから、国外に試合に行った時と、こうやって韓国や日本に来る時が一年で一番撞いている」

 

――あなたが以前指導したこともある日本の若手プロ、森雄介が昨日プロ3Cトーナメントで初優勝を飾りました。

 

「ユウスケは優れた才能を持った選手だ。なんといってもストロークが素晴らしい。そしてクレバーで精神力もある。彼のたった一つの弱点は、おっとりしているところ。それ以外は全て持っている。彼が自分を追い込んでもっと本気で練習したら、間違いなくトッププロになれる。僕にとって、彼が良いプレーをしているのを見るのはいつだって幸せなことだ。僕は彼が好きだし、今は僕の生徒という訳ではないけど、いつでも彼の活躍を願っている。手助けできることがあればいつだってしたいと思っているよ」

 

――とても高く評価しているのですね。

 

「あれだけの才能がありながらもったいないと思うことがあるから(笑)。彼はまだ漫然と『ただプレーしている』という時があると思う。それがなくなれば世界のトッププレイヤーになれるだけのものを持っている。彼のお父さんも素晴らしいプレイヤーだし、環境も良い。今、23歳か。たしかにまだ若いけど、世界で戦っていくなら急がないといけない。この先、日本にいつづけて日本で勝つことは難しくないと思う。でも、彼も海外で活躍したいはずだ。そのためには『もっとハードワークしなさい』と言っておきたい。彼は絶対できるよ」

 

――わかりました。森プロに伝えておきます。

 

「彼はもう知ってるよ。以前にも直接言ったことがあるから(笑)」

 

With Ryuji Umeda at Billiards Club YAMANI in Tokyo
With Ryuji Umeda at Billiards Club YAMANI in Tokyo

ウメダサンに決勝で負けたけど、称える気持ちしかなかった

 

――さて、キューについても聞かせてください。ADAM MUSASHIを長年愛用していますね。

 

「もう何年も経つよ。以前はヨーロッパのディーラーを介していたけど、今は直接日本のアダムジャパンと契約を結んでいる。もう6、7年になるかな。ダイレクトにいろいろな話ができるし、関係はとても良好だ。なんといっても僕はMUSASHIの性能をとても気に入っていて、これなしでプレーすることは考えられない。僕にとってのベストキューだ。他のメーカーからも色々なオファーが来たし、中には金銭的に大きな契約もあったけど、僕はMUSASHIを手放すつもりは全くない」

 

――シャフトは何を?

 

「ノーマルシャフト。以前、A.C.S.SやSolid 8を使ってみたこともあるんだけど、僕にはパワーがありすぎてコントロールが難しいと感じた。2つともすごく良いシャフトだから、それは誤解しないでほしい。パワーに自信がない人にはまずお勧めしたいシャフトだ。僕は自分のストロークに自信があるから、シャフトでパワーを補う必要性がなく、コントロール性を大事にしているんだ。タップは自分のブランドの『DSタップ』。僕が自分で作っている訳じゃないけど、すごく良いタップだよ」

 

――あなたと梅田竜二プロとの交友はもう20年ぐらいになるのでしょうか?

 

「そうだね。初めてウメダサンを見たのは1992年。ウメダサンがベルギーのスパ大会で優勝した時だ(※当時梅田プロは24歳)。でも、その時は話はしなかった。その翌年、1993年に僕はプロとして活動し始めた(当時19歳)。そこから国際大会で顔を合わせることが多くなり、少しずつ話をする間柄になっていった感じだね。昔のウメダサンの口癖は『信じられない、信じられない』だったことを覚えている(笑)」

 

――2007年の世界選手権(エクアドル)では、あなたと梅田プロが決勝戦で対戦し、梅田プロが勝って初めての世界チャンピオンに輝きました。

 

「そう、あれは忘れられない試合だよ。当然僕は負けて悔しかったけど、ウメダサンが勝ったことは本当に嬉しかった。彼はタイトルに値するプレーをしていたし、称える気持ちしかなかった。その後、一緒に食事をして一緒に飲んで……本当に楽しい夜だった。世界選手権の決勝戦で負けたら、普通ならチャンピオンと一緒に食事に行く気になれないけど、ウメダサンは別だった」

 

――日本には何回ぐらい来ていますか?

 

「数え切れないよ(笑)。30回から40回は来てると思う。僕は日本が大好きでいつでも滞在を楽しんでいる。日本の人々、食べ物、街や文化、全てが好きだ。今回はクリーニングに服を出したら新品以上にきれいになって戻って来てびっくりしたよ(笑)。僕にとって、日本にいることはとても自然なことで、すごくリラックスできる。韓国にいると毎日忙しくてどうしても落ち着かない気分になるから、息抜きに来ることもある。今回のようにね」

 

――ありきたりな質問で申し訳ないですが、好きな日本食は?

 

「なんだろう。なんでも好きだよ。すぐ思い浮かぶのは寿司かな。特にマグロ(笑)。あとは鉄板焼きとか。そうそう、昨日は一人で味噌ラーメンを食べに行ったんだけど、とても美味しかった」

 

――わかりました。最後に、日本のビリヤードファンやスリークッションプレイヤーにメッセージをいただけますか? 

 

「僕が幼い頃、日本はスリークッション強国として知られていた。コバヤシサン(小林伸明氏)やコモリサン(故・小森純一氏)を初め、チャンピオン級のプレイヤーがたくさんいて、日本人選手は一つの時代を築いていた。だけど、今はスペインと同じで、国内のビリヤード事情がそれほど良くなくて、クラブが減り、試合も減っていると聞いている。そして、ワールドカップなどの世界大会に出る人が減ってきて、目立った成績が出なくなっている。でも、コバヤシサンやコモリサンの時代の経験や知恵を受け継いでいる人はまだ多いし、戦える力を持っている選手もいる。僕は日本が以前のような競争力のある国にカムバックすることを願っている。数は少ないけど、ユウスケやショウタ(船木翔太選手)という若い選手も出てきている。だから、Good luck for Japanese players。いつでも応援しています」

 

(了)

 

 

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