〈BD〉半世紀前の「広告」が物語る日本ビリヤード史【シリーズ・日本ビリヤード新聞 番外編 Part1】

 

約半世紀前の月刊紙、

『日本ビリヤード新聞』の

一面記事や目玉企画を、

 

ビリヤード珍品コレクター」の

I氏(あいし)に解説いただく企画、

シリーズ・日本ビリヤード新聞】。

 

月1回、1年にわたる連載は

8月で一区切りを迎えましたが、

 

番外編としてさらに2回、

『日本ビリヤード新聞』を

別の視点からI氏に解説していただきます。

 

番外編のテーマは新聞の【広告】。

 

現代から見ると、どの広告も

コピー・フォント・デザイン・

イラストなど全てが味わい深く、

日本ビリヤードの歴史が薫ります。

 

まず、前編として、

『ビリヤード場』をテーマに紹介します。

 

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I氏・記:

 

ビリヤードをこよなく愛する皆様、こんにちは。

 

2021年9月から1年間【シリーズ・日本ビリヤード新聞】を連載させていただきましたが、今回はこの紙面に掲載された広告を、いろいろと2回にわたって紹介いたします。

 

『日本ビリヤード新聞』の紙面構成は、試合の結果・解説記事やルール・戦術に関するコラム等が中心ですが、さまざまな広告も載せられています。

 

『日本ビリヤード新聞』が創刊された昭和40年代初頭は、この新聞がおそらくビリヤードに関する唯一のメディアだったため、その中の広告自体も当時は貴重な情報だったかと思われます。今回は、当時の「ビリヤード場の広告」を紹介しましょう。

 

※BD注:広告中の電話番号は本稿編集時にボカしたり消したりしています(下2桁を読めなくしています)

 

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●『ビリヤード甲斐・ビリヤードニュー文化』  

 

昭和40年(1965年)12月号(第8号)
昭和40年(1965年)12月号(第8号)

 

JPBFプロの甲斐譲二選手の厳父である甲斐松穂選手が経営されていたビリヤード場の広告です。

 

銀座にあった『ビリヤード甲斐』は、後の『銀座ビリヤード』の前身となったお店です。

 

また『ニュー文化』はいうまでもなく、今年初めに奥沢駅前に移転したビリヤード場で、この時代は自由が丘の店舗が開業した初期のころです。マッセをしている(?)イラストがユニークですね。

 

なお当時のコーチスタッフも実力派選手で、特に沢彦九郎選手は『全日本スリークッション選手権』で準優勝の経験もある方です。

 

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●『ビリヤードチャンピオン』 

 

昭和49年(1974年)11月号(第115号)
昭和49年(1974年)11月号(第115号)

 

東京・八王子のキャロムビリヤードの老舗のお店です。経営者はJPBFプロの町田正選手の厳父である町田善司選手です。

 

コーチには当時まだ10代だった町田正選手と、兄君の町田吉久選手の名前もあります。このころは現在の店舗(本店)のほかに、支店としてかなり大きなお店も経営されていました。

 

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●『ビリヤード松山』 

 

昭和42年(1967年)6月号(第26号)
昭和42年(1967年)6月号(第26号)

 

スリークッション競技をアメリカから我が国に“輸入”した松山金嶺選手が開業したお店で、現在でも東京・下北沢の名店です。

 

この広告は、当時販売されていた松山選手のビリヤード解説本の宣伝も兼ねていたようです。

 

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●『みやこビリヤード』  

 

昭和40年(1965年)8月号(第4号)
昭和40年(1965年)8月号(第4号)

 

関西を代表するキャロムビリヤードの老舗です。広告の「みやこ」の“こ”の部分は、「変体仮名」とよばれる書体です。

 

ちなみに広告内の「ローテイション」はプール(ポケットビリヤード)のことです。この当時、国内のプール競技のほとんどがローテーションでしたので、プールの別称として、関西では“ローテイション” “ローテ” “ロ式”などの用語がよく使われていました。

 

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●『京都のビリヤード場』

 

昭和40年(1965年)5月号(創刊号)
昭和40年(1965年)5月号(創刊号)

 

プールの老舗『ビリヤード喜楽』など、当時の京都を代表するお店がいろいろ載せられています。イラストが京都風なのがよいですね。

 

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●『五十嵐ビリヤードチェーン』 

 

昭和40年(1965年)5月号(創刊号)
昭和40年(1965年)5月号(創刊号)

 

関西で活躍したキャロムの名選手・名伯楽である五十嵐雍治選手が経営するお店の広告です。

 

コーチとしてキャロムの宮口清選手、プールの藤間一男選手など当時のトップクラスの選手が関わっていました。

 

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●『ビリヤード小方』/『ビリヤード久保』 

 

昭和40年(1965年)6月号(第2号)
昭和40年(1965年)6月号(第2号)

 

当時の日本を代表する、世界的キャロムプレイヤーの小方浩也選手・久保敬三選手がそれぞれ経営されていたお店です。

 

久保選手のお店は支店もあり、有名選手を招いて手広く事業をされていたようです。また小方選手の店では、若手選手の指導や育成に力を入れていたようです。

 

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●『ビリヤード鯱』 

 

昭和46年(1971年)6月号(第74号)
昭和46年(1971年)6月号(第74号)

 

名古屋だけあって、「しゃちほこ」の鯱(しゃち)を店名に冠しています。『全日本スリークッション選手権』で5回の優勝を誇る関西の実力者、吉原良男選手がコーチをされていました。

 

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●『太陽ビラード』 

 

昭和51年(1976年)11月号(第139号)
昭和51年(1976年)11月号(第139号)

 

大阪にあったビリヤード場です。撞球や玉突のことをカタカナ表記で“ビリヤード”とするのが今では一般的ですが、これはもちろん英単語の「billiards」に由来しています。ただ、フランス語では「billard」と書きますので、このカタカナ表記として“ビラード”と読み書きする例も以前は時折みかけました。

 

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●『ニューシカゴビリヤード』 

 

昭和40年(1965年)7月号(第3号)
昭和40年(1965年)7月号(第3号)

 

当時のビリヤード場の広告にはイラストがよく描かれていましたが、このようにお店の様子の写真を載せているのは珍しいです。

 

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●ビリヤード場の権利譲渡の広告

 

↑ 1枚目:昭和40年(1965年)6月号(第2号)

2枚目:昭和41年(1966年)7月号(第15号)

 

 

『日本ビリヤード新聞』には、ビリヤード場の経営権譲渡の広告も時々ありました。

 

ビリヤード台が2台だけのお店というのは現在ではほとんど見かけないかもしれませんが、当時は自宅の土間などにビリヤード台を1台だけ置いて経営している(店主は店番をしながら茶の間で家族と団欒している……)といったお店もあったようです。

 

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I氏、ありがとうございました。

 

『番外編 Part2』は、

「ビリヤード用品」をテーマにして

近日公開します。

 

※日本ビリヤード新聞紹介記事一覧はこちら

 

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