〈BD〉48年前の8月→「原田美恵子選手、全米選手権でたった1点に泣く」。【シリーズ・日本ビリヤード新聞 vol.12】

 

ビリヤード珍品コレクター」の

I氏(あいし)が所蔵している、

 

約半世紀前の月刊紙、

『日本ビリヤード新聞』から、

当時のビリヤード事情を読み解く

企画の第12回。

 

今回は、昨年2月に逝去された

原田美恵子(はらだ みえこ)さんの

現役時代の活躍を紹介します。

 

原田さんは、日本初の

女子ビリヤードプロプレイヤーとして

2003年まで活躍されたパイオニアであり、

後輩女子選手に多大な影響を与えた人物です。

 

48年前の『日本ビリヤード新聞』では、

原田さんの『USオープン選手権』

(種目は14-1)での健闘を報じています。

 

…………

 

I氏・記:

 

ビリヤードをこよなく愛する皆様、こんにちは。今回は1974年8月のビリヤード・ニュースを紹介します。

 

上の画像は当方が所有している『日本ビリヤード新聞』昭和49年(1974年)9月号(第113号)の一面記事の写真です。

 

その見出しには、

 

『たった1点に泣いた 原田美恵子選手 

全米ポケットビリヤード 女子選手権決勝で破れる』

 

とあります。

 

原田美恵子選手は、この年の『USオープン選手権』(種目は14-1)に出場して準優勝となりました。今回は、この大会での原田選手の活躍をご紹介しましょう。

 

…………

 

日本のビリヤード界において、早くから顕著な活躍をした女性として、キャロムの桂マサ子選手が代表的です。

 

桂マサ子選手は戦前から戦後にかけて『全日本スリークッション選手権』で上位に入り、昭和27年(1952年)にはアメリカで開催されたスリークッションの『世界選手権』に出場しました。また妹の桂典子選手もキャロムの名選手として知られており、『全日本四つ球選手権』等で優勝したこともあります。

 

一方、プール(ポケットビリヤード)界での女性選手の先駆けといえるのは、原田美恵子選手でした。

 

プールの最初のプロ選手団体である『日本ポケットビリヤード選手会』(NPP。後のJPBA)は昭和42年(1967年)3月に発足しましたが、原田選手は女性初のプロになった3期生です。その後は4期生の島崎和子選手とともに、女性選手の活躍を長らく牽引していました。

 

さて、昭和42年(1967年)に藤間一男選手がアメリカのプールの試合に参戦したことを以前に紹介しましたが、その後も日本の選手が次々にアメリカの大会にエントリーしました。

 

藤間選手は、男性プロだけでなく女性プロにも早くから海外の試合の参戦を薦めていたこともあって、原田選手も昭和48年(1973年)の『USオープン選手権』に出場しました。ここで彼女は初出場ながら3位になりました。

 

また翌年には、ロサンゼルスで開催された『女子世界選手権』にも参戦して見事優勝をはたし、本場のトップ選手にも引けを取らない実力者であることを知らしめました。なお、競技種目はどちらも14-1(ストレートプール)でした。

 

原田選手は前年に続いて昭和49年(1974年)年の『USオープン選手権』に参戦することが決まりました。この大会は8月5日から8月10日に、シカゴのシェラトンホテルの特設会場で行われました。試合形式は14-1の75点ゲームのダブルイルミネーション(決勝は100点ゲーム)、優勝賞金は3,000ドルでした。

 

昭和49年(1974年)8月号(第112号)に掲載された、原田選手・花谷選手のUSオープン選手権の参戦決定を報じた記事
昭和49年(1974年)8月号(第112号)に掲載された、原田選手・花谷選手のUSオープン選手権の参戦決定を報じた記事

 

『日本ビリヤード新聞』昭和49年(1974年)8月号(第112号)には、渡米前の原田選手のコメントが報じられています。(原文ママ、以下同じ):

 

『昨年の大会と二月のロサンゼルスの大会と殆んど同じメンバーが出場されるようです。女子のレベルは大体つかめていますが、バルカス、リース、ティコム、バードらが目前のライバルでしょう。自信はありますが、ちょっと心配なのは、藤間さんがエントリーをキャンセルされましたので、言葉などの心配があり、ロサンゼルスのような気分的に余裕がある状態でプレーできないのではないでしょうか。』

 

(注)2月のロサンゼルスの大会には藤間選手も帯同し、原田選手のサポートをしていました。なお藤間選手は今大会に特別招待されていましたが、多忙を理由に参加をキャンセルしました。

 

このように、海外参戦3度目となる原田選手は自信の中にも一抹の不安を感じていたようです。

 

さて、原田選手にとって2度目の『USオープン選手権』が始まりました。女性部門の予選はA組とB組にわかれ、A組の原田選手は3回戦で敗れたものの、予選最終ゲームではその相手にリベンジを果たし、みごと決勝に進出しました。

 

一方、決勝戦の相手となるB組から勝ち上がったのは、当時15歳のジーン・バルカス(Jean Balukas)選手でした。バルカス選手は前年の『USオープン選手権』の覇者で、その年の2月に原田選手が優勝した『女子世界選手権』の決勝の相手でもありました。

 

『日本ビリヤード新聞』昭和49年(1974年)9月号(第113号)の紙面では、その決勝戦の終盤の模様を次のように解説しています。

 

『…原田美恵子は六ボールをコーナーにコールした。世界女子選手権を二月に獲得し、全米選手権タイトルも、その六ボールにかかった。コーナーポケットまで二米余りのロング・ショットはポケットの中に消えなかった。ゲーム点数まで、あと一点。十五才になった全米チャンピョン、ジーン・バルカスは辛うじて十三点をランアウトし、タイトルを守った。百対九十九、たった一点に無念の涙をのみ、タイトルを逃した原田は二月のロサンゼルスのファイナルの全くの逆の立場に終ったのである。…』

 

昭和49年(1974年)9月号(第113号)昭和44年(1969年)に掲載された、原田選手の大会参戦記
昭和49年(1974年)9月号(第113号)昭和44年(1969年)に掲載された、原田選手の大会参戦記

 

また、この号での「U・S・OPENに参加して」という記事で、原田選手は決勝戦の様子を次のように振り返っています:

 

『…八月十日決勝、女子は、ジーンバルカスと私、優勝三千弗、二位千五百弗、決勝となると観先動員三千人以上、満員を見て私もここまで来れば、落ち着くことと心がけ、深呼吸をした。

決勝は、女子百点、男子二百点になり、女子から始まる。私はスタート調子よく、七〇点までは、バルカスより二〇点開いた。しかし百点近くなって、もたつく間(後から考えると三回程敗している)九九点になった。パルカスは残り十二点一キューで入れ優勝した 一点の差が負けたが、気持はスカッとした。負けて悔いなし。…』

 

結局、原田選手は好敵手のバルカス選手に敗れ準優勝に終わり、賞金1500ドルを獲得しました。また、ハイラン賞も33点を出した原田選手が獲得し、150ドルの賞金を手にしました。

 

なお、この大会の男性部門には花谷勝プロも参戦しましたが、健闘むなしく1勝2敗の17位タイに終りました。

 

ちなみに、ジーン・バルカス選手は幼い頃からその才能が知られており、昭和40年代初頭に訪米した藤間選手も現地で彼女の存在を見聞きしていたようです。バルカス選手は昭和44年(1969年)に、わずか9歳でこの『USオープン選手権』の5位に入賞した、まさに“天才少女”でした。

 

その翌年には父親と来日しており、その際は藤間選手のはからいもあって、当時の人気テレビ番組「万国びっくりショー」に出演したこともありました。さらに彼女は1973年から『USオープン選手権』を7連覇し、『女子世界選手権』でも6度の優勝を誇っています。

 

2001年の全日本選手権で旧交を温めたバルカスと原田さん。右はゲルダ・ホフステッター
2001年の全日本選手権で旧交を温めたバルカスと原田さん。右はゲルダ・ホフステッター

左から:アリソン・フィッシャーとともに/台湾開催の日台対抗戦での表彰/島崎和子さんとともに

 

…………

 

現在のプール(ポケットビリヤード)のプロ団体、JPBAに所属している女性選手は約60名です。またアマチュアを対象とした女性向けの大会も幅広く行われています。

 

日本のプロ組織発足の黎明期はどうしても男性プロの活動が中心でしたが、そんな中で海外に渡って日本女性選手の実力を本場アメリカに印象づけた原田選手の偉業は、決して色あせることはないでしょう。

 

最近では、男性選手に負けず劣らず多くの女性選手が海外の大会に積極的に参戦しています。ぜひこれからも、日本選手が海外で活躍する姿を見せてくれることをI氏は期待しています。

 

さて、昨年9月から毎月ご覧いただいてきた、この『シリーズ・日本ビリヤード新聞』の連載は今回をもって終了とさせていただきます。1年間のご愛読ありがとうございました。なお10月に、このシリーズの“番外編”を予定しています。ご期待ください。

 

…………

 

I氏、丸1年執筆いただき、

ありがとうございました。

 『番外編』もよろしくお願いします。

 

※日本ビリヤード新聞紹介記事一覧はこちら

 

 

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