津堅翔・JPBAプロ

プロ10年目 & 30歳目前で志願した"フィリピン修行ウィーク"

2017年1月

 

2016年11月、

『全日本選手権』のベスト64戦、

 

優勝候補の一人、呉珈慶(中国)に

4-11と大差で敗れた津堅翔は、

しかし、

試合中もその後も生き生きとした表情を

浮かべていた。

 

「俺、試合中にわかったんですよ、

今の自分に必要なものが。

そして、昔を思い出せてなんだか嬉しくて」

 

その3週間後、

「たくさん負けて来まーす!」という

メッセージを残して、津堅は機上の人となった。

 

ビリヤード強国・フィリピンのリアルとは?

1週間の修行で得たものとは?

 

今年(2017年)、

プロ10年目を迎え、30歳になる津堅。

 

「ランキング対象試合未勝利」であることも、

「遠回りした」ことも、

なんのてらいもなく語るその視線は、

力強く、柔らかかった。

 

 

写真・取材・文/BD

取材協力/KeithAndy、PAL(東京都八王子市)

 

…………

 

Sho Tsuken

JPBA42期生(プロ10年目)

1987年4月17日生

沖縄県出身・東京都在住

Keithandyキュー使用

東京都八王子市『PAL』(パル)所属

『Grand Prix East』準優勝×2回

 

写真提供:津堅翔
写真提供:津堅翔

あの環境、コンディション。取り切り率は半分ぐらいになる

 

――フィリピン修行、お疲れ様でした。1週間、どうでしたか?

 

「想像はしてましたけど、フィリピンはこうもテーブルコンディションや環境が違うのかと驚きました。ちゃんとたくさん負けて帰って来ました(笑)」

 

――フィリピンは初めて?

 

「はい。これまで台湾、アメリカ、インドネシア、韓国はありましたが、フィリピンはなかなか一人では行けない国というイメージがあったので。今回はキースアンディの清水社長やフィリピン選手のサポートもあって実現しました。おかげさまで向こうでは危ないこともなく滞在できました」

 

――初めての現地ビリヤード場、どうでしたか?

 

「最近は向こうのビリヤード場の動画がたくさんアップされていて、僕も見てましたけど、実際はその何倍も迫力がありました。あそこでちゃんと撞けたらものすごい自信になると思います」

 

――やっぱりテーブルコンディションからして日本とは大きく異なるのでしょうか?

 

「そうですね。僕ら(津堅プロと正﨑洋行プロ)が行ったジェネラルサントスでは、基本的にどこもテーブルの掃除はしてなくて、チョークやパウダーの痕も残ってます。そもそも良い職人がいないのか、メンテナンスしてないのか、基本的にボールはよれます。クッションは日本よりも硬いので、ボールが鋭角に出るイメージ。それもあってポケットの受けは悪いので、レール際のシュートはイメージが良くないです。ラシャは緩張り(張り方が緩い)なので、ラシャ上でブリッジを組むとズズッとブリッジが動きます。あとボールも古くて小さいですね」

 

――それはゲーム内容も変わりそうですね。

 

「ええ。ラックシートは使ってないので、ブレイク後にごちゃついた配置になりやすい上に、コンディションがタフでボールコントロールに苦しむので、取り切り率で行ったら半分ぐらいになっちゃう感じです」

 

――日本から行ってパッとすぐに対応できるものではない?

 

「今回僕が行った範囲だと、滞在初日に訪れた所のコンディションが特別難しく感じられました。あのコンディションだと、日本のプロでも向こうのSA(ハイアマチュア。セミプロ)に勝つのは難しいと思います。海外経験豊富な日本のトッププロでも初日は苦しむんじゃないでしょうか。少なくとも僕の場合は、基本的にオープンな配置しか取り切れませんでした」

 

――現地の人はそのテーブルを当たり前と思って撞いている、と。

 

「当たり前というかそれが普通で日常なんですよね、毎日撞いてるから。僕らが苦しみそうな配置でも普通にバシバシ取り切ってました。でも、逆に言うと、仮に日本のテーブルで向こうのSAクラスぐらいの人と勝負したとしたら、そんなに負けないと思います。良いコンディションには良いコンディションなりの撞き方があって、僕らはそっちに長けているから」

 

写真提供:津堅翔
写真提供:津堅翔

あの最後の勝負からは多くのものを得られたと思います

 

――種目は10ボールですか?

 

「10ボールです。が、日本と違うところもあります。まず、基本的にラック数は長いです。今回は一番短い時で13ラック先取で、長いと18だったかな。あとコールショットじゃなくて、ノーコール。それから球触りはOKです」

 

――日本人は珍しいでしょうから、皆に注目されたのでは?

 

「50人くらいに囲まれました。まさに動画の世界。ものすごい熱気と声で……日本でしか撞いていない人だと、うるさく感じたり、人が近くて気になったり、集中できなくてダメかもしれません。幸い僕は沖縄出身で、沖縄ってどちらかというとフィリピンに近い雰囲気もあるので、ギャラリーとコミュニケーションを取って味方になってもらい、気持ち良く撞けた時もあります」

 

――向こうの人と何回ぐらい撞いて、どんな成績でしたか?

 

「今回はダブルスも結構やったんですが、ダブルスは6~7回やって2回勝ったかな。僕と正崎プロのデコボココンビで頑張りましたけど、まあそんなものでしょう(笑)。個人戦は14~15回やって5回勝ってないくらい。意図的に分が悪い相手を選んで撞いたので、覚悟はできてました。負けた試合もたいてい競ってはいました。でも、勝つためのあと1~2ラックが取れない。それが今の僕の実力だと思います」

 

――今回は『パッキャオカップ』に出るという目的もありましたね。

 

「はい。なので、マニラで飛行機を乗り継いでパッキャオの地元のジェネラルサントスへ向かいました。大会は空港から30分くらいの所にあるショッピングモールで開催されていて、僕らはシングルの部には間に合わなかったのでダブルスの部だけに参戦。初戦で負けて、敗者側で1回勝ちましたが、日程的に途中で帰らなきゃいけない感じだったのでそこでリタイアしています。フィリピンの特設会場で撞けましたし、試合は試合でとても良い経験ができました。さらに、パッキャオさんの自宅で一緒にビリヤードができたんでスーパースペシャルな経験になりました(笑)」

 

――ジェネラルサントスには、我々日本のビリヤードファンが知ってるフィリピン選手はそんなにはいないですよね?

 

「そうですね。でも、パッキャオカップがあったのでフィリピン選手大集合でした。L・V・コルテッザ、R・ガレゴ、A・リニング、D・オルコロ……などお馴染みの顔もいっぱい。僕はそういった日本によく来る人達ではなく、基本的に地元の強い人と撞きました」

 

――印象深い一戦とは?

 

「一番最後の勝負です。僕はミスを気にせずオフェンス重視なタイプなので、向こうでも初めはそのスタイルでやってましたが、試合運びが上手な現地のプレイヤーを真似てみて、しっかりとバランス重視で、主導権を自分から離しづらい戦い方だったり、ミスをカバーしながら進めて行く戦い方をして勝つことができました。フィリピンに行くからには、何かを得て、進化した自分になって帰って来なければ意味がないと思っていましたけど、あの最後の勝負からは多くのものを得られたと思います」

 

写真提供:津堅翔
写真提供:津堅翔

フィリピン選手の強さは"プライドの持ち方"にある

 

――SNSに「向こうに行って世界で勝つために必要なものが見えた」と書いていましたね。

 

「僕はフィリピン選手の強さの源は、技術力とか知識とかじゃなくて、”プライドの持ち方”にあるんじゃないかと思いました」

 

――それはどういうことでしょうか? ”勝負に対するピュアさ”みたいなもの?

 

「それに近いです。簡単に言えば、フィリピンで……というか世界で一番有名な選手はエフレン・レイズですよね。エフレンはもう62歳ですけど、今もバリバリ勝負している。でも、若くて強いヤツとの勝負は分が悪くなってきている。なので、当たり前のように、10代の子からハンデをもらって勝負しています。『神様』がですよ。そこに余計なプライドはないんです。シンプルに勝利を求めていて、ハンデをもらうことに全く抵抗がない。過去は過去。今はこうだからハンデをもらってキミと勝負するんだ、と。それはエフレンに限らず、フィリピン選手、皆がそう。それで一生懸命撞いて勝って『やったー!』ってなっているのを見て、まるで日本と違うと痛感しました」

 

――ビリヤード文化や気質が違うと言えばそれまでですが、参考にできる部分ですね。

 

「僕はもともと人の目を気にする方で、メンタル的にも優れてるとは言えなくて、緊張しているのが恥ずかしくて隠したり、ミスしたことが恥ずかしくて顔を作ったりしてました。でも、向こうの人ってプレー中に恥ずかしいと思うことが一切なくて、1点を取ることに全力投球なんです。なんて素直なんだと。また、向こうのギャラリー達もいやらしさのない目線でプレイヤーを見ていて、簡単な球を外したら笑われるんですけど、良い球は良い球で純粋に評価してくれる。そんな環境にいると、自分のプライドとか体裁を考える瞬間がなくなって、どんどん素直な自分で撞いていけるようになってました。『これは楽しいな』と。この状態が続けば続くほど、『自分のビリヤード』が出せるんじゃないかって確信したんです。だから、今後のテーマの一つとして、『プライド』という言葉に反応しないって決めました」

 

――強くなるためのヒントは他にもありましたか?

 

「ありました。フィリピンの人達はハンデ交渉はシビアですが、一旦勝負が始まった以上は勝ち負けの責任は自分にあると思っています。何かのせいにすることがありません。だから、あれだけの集中力が引き出せるんだろうと思います。目の前に人垣ができて、誰かが歌って踊って、騒いでて……となると、普通の日本人なら集中がかき乱されると思いますが、彼らは気にしてない。緊張がどうとかコンディションがどうとかも言わない。フォームとかストロークとかスタンスも気にしてない。

 

 本当に集中している時って僕らもそうじゃないですか。目の前の球以外、見えてないですよ、彼らには。あれが『仕事』の集中力なんでしょう。あの集中は日本とか海外に出て行ってもそのまま通用していると思います。逆に、僕らも日本で撞いているからこそ磨かれている力もあると思いますが、フィリピン選手の勝負での集中力の高さということに関して言えば、あの環境あってのものだと思います」

 

出た答えは、『勝ってる人はトライしている』ってこと

 

――日本でのプロ活動についてお聞きします。2015年頃からそれまで以上に飾らない姿でいる印象があります。SNSなどでもオープンに、かつマイルドな言葉で発信しているようなイメージで。何か心境の変化があったのでしょうか?

 

「2015年は『結果が出なかったらビリヤードを辞めよう』と思いながら活動していて、身近な人達には打ち明けてました。でも、年の終わりの『全日本選手権』(11月)で、外国人選手に2連続で当たって『負け-負け』で終わってしまったんです。もちろん力の差もあるんですけど、10何年やってきてこの辞め方で本当に良いのだろうかと自問しました。キースアンディを始め、サポートしてくれてる人がいっぱいいるのに、これで終わったら申し訳ないという思いと、正直言ってまだ辞めたくないという気持ちがあり、『まだやりたい。もうちょっと頑張りたいです』と引退を引っ込めました」

 

――SNSに書いていたこと、覚えてます。

 

「それを機に、良い意味で要らないプライドをだいぶ捨てられたんでしょうね。翌年(2016年)はそれまでより『撞けた』実感がありました。いっつもボロ負けするトッププロに……まあ結局負けてるんですが、2度ちゃんとした内容で競り合いができたし、一年を通して『出来るじゃん』と思えた瞬間が増えた。そして、『もっと先へ行ける』と感じていた矢先に、全日本選手権での呉珈慶との対戦があった。あの試合、僕にミスはあったけど、恐る恐る撞いてたってことはないし、何回かやれば1回くらいチャンスはあるんじゃないかと率直に思えました。

 

 そして……純粋に楽しかったんですよ、ホントに。B級だった頃、A級の人にノーハンデで挑んでボロボロになりながらも上達していった自分の原点を思い出させてくれるような時間でした。思えば、プロになって負けることを怖がって避けてきた。そりゃもちろん負けたくはないんだけど、自分がいつ伸びたんだろうって振り返ると、負けた時に伸びてるんですよ。それで、『初心を思い出そう。フィリピンに行ったら毎日負けられるじゃないか』って思ったんです」

 

――そうだったんですね。国内では「初優勝に近いプロ」と言われ続けて、でも、まだランキング対象試合では勝てていません。

 

「優勝はしたいです。でも、年々日本のプロのレベルも上がってきているし、全員に勝てるチャンスが巡ってくる訳でもない。……そう、自分なりに、『1度も優勝できてない人と、年に1回は優勝するような人の違いって何だろう』って考えたことがあるんですよ」

 

――その答えは?

 

「1点を取る力やゲームメイクの面は大きくは変わらないと思うんです。日本はテーブルコンディションも良いですしね。じゃあ、他の部分は? と考えた時に、出た答えは、『勝ってる人はトライしている』ってことでした。時間もお金も使ってトライする。格上に挑みに行くとか、海外に出て行くとか。もちろん一発で結果なんて出ません。負けて帰って来ます。大勢の人にボロボロの姿を見せるかもしれません。でも、またそこに行くんですよ、勝つような人達は。そりゃ差が出ますよね。だから僕も意識的にそういう場に出ようと思った。その一つが今回のフィリピン修行です」

 

――プレー面でのウィークポイントや課題とは?

 

「負けた試合を振り返ると、『自分のやるべき仕事を、やるべき時にしていない』ことが多い。要はちゃんと自分と向き合ってないし、プライドが邪魔してるんです。『派手な球を見せながら勝つ』とか『スピーディーに決めたい』とか。結果とスタイルの両立を求めた挙句に、ビリヤードが怖くなってしまった時期もありますし、イップスも経験しました。プレーリズムについては、今は遅くもなく速くもなく、でも『軽やかに』という感じかな。プロである以上、見ているお客さんが飽きないスピードで、という部分は曲げたくはありません。

 

 ”たられば”ですけど、今考えているようなことにもっと早くから真剣に向き合って、きちんとステップを踏んで行ってたら、こんなに遠回りしてなかったかなと思います。今更ですが、『今やるべきことにしっかり向き合う』というのが今の課題ですね」

 

――今年(2017年)、30歳になります。「30ではこうありたい」という青写真はもともとありましたか?

 

「以前はありました。30までには優勝したいというのが一つ。もう一つは、場所は問わず、自分のお店を持ちたいなと。でも、30直前になってみると、20代の頃とは少し考えが変わってきました。具体的にこうしたい、あれが欲しいということよりも、『ビリヤードに貢献できる人間でありたい』というのと、『その時その時最善を尽くせる男でありたい』という風に思います。もちろん勝ち負けの世界にいるので、結果を出す努力は怠りませんが、競技活動でも一人の男としても、『全部出し切れた』って思える瞬間を何度でも味わえるようになりたいですね。その結果として優勝できたら一番良いです。

 

 先日、沖縄に帰省した時(2016年11月)に、ビリヤードの先輩・仲間・後輩、色んな人と話ができて、自分という人間を再確認できたというか、自分にも沖縄のビリヤードに貢献できることがあるかもしれないと思えたんです。僕は、沖縄からキュー一本で県外に出て行った最後の世代ですけど、今も沖縄には若くて熱いプレイヤーがいっぱいいます。そういう人達に『ビリヤードって楽しいんだよ』と伝えていけたり、何らかのサポートができたら良いなと思っています。できることなら、優勝したプロとして(笑)」

 

(了)

 

 

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