2014年

1月

17日

〈BD〉23年前、奥村健プロの紹介文は「人間分度器」でした

JPBA通信(※創刊号の時はJPPA)
JPBA通信(※創刊号の時はJPPA)

 

人づてでお宝をお借りしました。

 

話に聞いていた『JPPA通信』です。

(※途中から「JPBA通信」に改称)

 

創刊号は1991年。

 

体裁は、A4モノクロ普通紙を

ホチキス止めしただけのシンプルな冊子です。

 

きっとワープロ(←って今聞かないな……)

などで原稿を作ってプリントして、

コピー機でたくさん複写したのでしょう。

 

しかし、その内容は、

 

20ページ弱あって、

 

結果表、大会レポート、選手紹介、

戦績データ、ルール解説、

 

さらには、

編集長・鎌田優プロ(今はプロではありません)による

分析的であり哲学的ですらある考察文など、

 

ファンにとってなかなか読み応えがあります。

 

随所に手書き原稿も垣間見られて微笑ましい。

 

横田英樹プロが描いた4コママンガもあります。

 

ビリヤード場や業者さんからの

広告も入っていますし、

 

しっかり「編集」がなされている感じです

(めくっただけの印象ですが)。

 

いやー、これからしばらく

読むものに困らなさそうです。

 

あのー、横田英樹・東日本ブロック長、

 

これって、中ページの写真撮影と

原稿の引用をしても大丈夫ですかー?

 

…………

 

今回僕が預かったのは、

創刊号、3号、4号、5号の4冊(2号がない)。

 

上の写真、

右上の「4号」の表紙はイラストですが、

 

残る3冊の表紙には人物写真が使われています。

 

このプレイヤーが全員わかった人は、

古参ファンかかなりのツウですね。

 

どうでしょう、わかりますか?

 

僕もカンペキに自信ある訳じゃないですが、

答えは一番下に!

 

…………

 

JPPAとは、

 

今の『JPBA』の一つ前の団体名で、

 

1988年から1992年の4年間、

東日本で使われていました。

 

Japan

Pro

Pool players

Association

 

……で、JPPAです。

 

(※西日本〈というか本部と言えば良いのでしょうか〉は

1971年から1992年までずっと『PBCJ』でした)

 

そして、1992年に、

PBCJとJPPAは発展的に名称を変更し、

今のJPBAとなったのです。

 

上の写真の「創刊号」(左下)は、

1991年の秋に出たようで、まだ「JPPA」ですが、

 

右下の「第3号」は

1992年の2月以降に出たようで、

「JPBA」になっていますね。

 

…………

 

という、歴史の勉強はさておき。

 

表紙の人物の答え合わせです。

 

創刊号:左上が奥村健(現JPBFプロ)、

右下が永田修治さん

(※ここが不安)

 

3号:フランシスコ・ブスタマンテ

 

5号:関川賢示、祝・初優勝!

 

…………

 

創刊号が1991年……。

 

昨日の記事の土方隼斗プロ、2歳かぁ。

 

 

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プロ選手紹介ページ。一口メモが面白い! 奥村健プロは「人間分度器」でした。左ページの中央やや右側
プロ選手紹介ページ。一口メモが面白い! 奥村健プロは「人間分度器」でした。左ページの中央やや右側