〈BD〉「撞いたら上手いメーカー、撞けないけど高評価なメーカー」――Detective “K” season 5 episode 09

Gina cueのEarnie Guiterrez
Gina cueのEarnie Guiterrez

 

私の名はDetective K。

ビリヤードキューの調査を引き受ける探偵だ。

 

新型コロナウィルスとの付き合いは、

日常と化した今日この頃。

 

玉屋は、あれこれ工夫し

営業しているようだな。

 

公式戦もどうやら

開催されるようなのは良いニュース。

 

観客の感染防止や、

海外プレイヤー参加などは課題だが、

試合あってのビリヤードであるがゆえ、

他スポーツ同様、新たな基準や

価値観で運営していけばよかろう。

 

リンリンリン♪

 

うん? BDからネット通話だ。

ヤツが忙しくなっているようだと良いが……。

 

『国内ビリヤード場も通常営業に

戻りつつありますが、Kはいかがですか。』

 

相変わらずだな。

キューを「一本いっとく?」的に

入手しようとしているぐらいだ。

 

『なんだかんだで、買うんですね。

ところで、Kが付き合いのある

キューメーカーとは、

玉を撞いたことがありますか。』

 

まぁな。ただ、撞くより

呑み食いした回数の方が多いぜ。

 

『キューメーカーは、玉が撞けますよね?

Kの幅広い付き合いのなかから、

撞いたら上手いプレイヤー、

撞かないけれども良いキューを作る

メーカーを調査してください。』

 

まるでキューメーカーの

素行調査みたいなものだな。

実に探偵っぽい仕事だ。

 

よかろう、オレはキュー探偵K。

その依頼、引き受けた!

 

*****

 

アメリカにおけるキュー製作で、

19世紀から20世紀にかけて重要な役割を

果たしたのがブランズウィック社。

 

キューは「ブランズウィックの

工場設備でなければ作れない」と

信じられていた1960年代前半まで、

 

低価格のハウスキューから、

上級プレイヤー向けの高級モデルまで、

ブランズウィックのキューは、

事実上の「業界標準」だった。

 

いわば量産品である同社製キューに対し、

スペックやパフォーマンス、あるいは

デザインに物足りなさを感じた

プレイヤーがいたのも、当然の事。

 

そのようなプレイヤーのニーズに応じるため、

カスタムキューが生まれたといっても良い。

 

*****

 

キューメーカーとのフレンドリーマッチ(ミズーリ州セントルイスの『CUE & CUSHON』にて。2011年)

 

 

カスタムキューメーカーに、キュー製作を

生業とするようになった動機を尋ねると、

 

「キュー製作に必要な技術や知識を元々持っていた」

 

「自身のプレイヤーとしての価値観や基準に合ったキューは、自作するしかないと思った」

 

「キューのメンテナンスや修理を軽い気持ちで引き受けていたら、どんどん増えてしまい、イチから作った方が手っ取り早いと思った」

 

のいずれかが返ってくる。

 

「仕事の選択肢として、キュー製作しかなかった」

というケースもあるが、あくまでも例外。

 

ただ、その背景として、ビリヤードを

「好きだから撞いていた」のか

「撞くことで収入を得ていた」のかは、

ケースバイケース。

 

キューメーカー全員が上級者とは限らないのだ。

 

オレの知っている範囲で、何人か紹介しよう。

 

*****

 

 

◆ ジナキュー(アーニー・ギュテレス)GINA

 

カスタムキューの最高峰ともいえる

ジナキューの作者、アーニー・ギュテレス。

 

父親が木工職人で、趣味で楽器も作るほど

だったため、そんな父親から木工の手ほどきを

受けていたアーニーは、少年時代から

キュー製作に必要な技術は身につけていた。

 

ビリヤードにハマり、玉屋に出入りする

プレイヤーを観察するうちに、凝った装飾を

施した高級キューの需要を見出し、

高級キューメーカーとなった。

 

オレ自身は、彼がワンポケットやバンクプール、

ナインボールをフレンドリーマッチで

撞いている場面しか見たことがないが、

相当撞き込んでいた印象がある。

 

*****

 

 

◆ タッド(タッド・コハラ)TAD

 

日系二世のタッド・コハラは、

日本に渡って家具づくりを学び、

米国に戻ってからは自動車修理工場で働いたのち、

ビリヤード場のオーナーとなった。

 

そこに出入りするプレイヤーの求めに応じて

ワンピースキューを加工して、

ツーピースキューに仕立て販売するうち、

専業のキューメーカーとなった。

 

タッド・コハラ自身はプレイヤーではなく

玉屋の主人だったが、当時は常連プレイヤーや

旅回りのハスラーたちを食事に誘い、

キューの好みなどを聞きだして、

キュー製作の参考にしたという。

 

一本一本のデザインや撞き味の個体差が

大きいのがタッドキューの特徴だが、

自らが理想とする性能を追求していた

わけではなく、プレイヤー側がキューに

合わせることを前提に製作していたから

ではないか、とオレは思う。

 

*****

 

ビル・ストラウド(1枚目)とダン・ジェーンズ(2枚目)

 

 

◆ ジョス一派(ダン・ジェーンズ、ビル・ストラウド、ティム・スクラグス、マイク・シーゲル)JOSS and more

 

1960年代後半、旅回りのハスラーだった

ダン・ジェーンズとビル・ストラウドが、

「自分たちの経験を生かしたキューを作れば、

絶対売れる」と旗揚げしたメーカーがジョス。

 

1972年にビル・ストラウドが抜けて

ジョスウェストを立ち上げた後は、

旋盤工の経験を持ち、ハスラーでもあった

ティム・スクラグスが入社。

 

更に、トッププレイヤーとして

頭角を現す前の、若きマイク・シーゲルも

アルバイトとして携わった。

 

ジョスはいわば、真剣勝負の場における、

キューの重要性を理解していた

プレイヤーたちが集まったメーカーだな。

 

ダン・ジェーンズのプレーは見たことがないが、

全身からにじみ出る威圧感は、

数々の修羅場を経験したハスラーならでは、

という感じがする。

 

プレーするビル・ストラウド
プレーするビル・ストラウド

 

ビル・ストラウドのプレーは何度も見たが、

「絶対負けない」玉を撞く。

目先のイレがあろうとも、先の展開が難しければ

セーフティを迷わず選択する、堅実型だった。

 

ティム・スクラグス
ティム・スクラグス

 

ジョスから独立後のティム・スクラグスキューは、

ジョスというよりザンボッティに近い雰囲気の

デザインで、いまだにコレクター筋の評価は高い。

 

ただ本人は、コミック『ミドリノバショ』に

出てくる、気の良い常連のおじさん的な

雰囲気しかなかった。

それが逆に作用し、相手を油断させる

手ごわいプレイヤーだったかもしれん。

 

マイク・シーゲル
マイク・シーゲル

 

プレイヤーとしてのマイク・シーゲルは、

実績充分(『USオープン9ボール』優勝3回』ほか)。

1990年代半ばから

高級キューメーカーとしてビジネスを始め、

自ら製作したキューで試合にも出場していた。

 

ただ、自分のミスショットに怒り、

試合中にキューを破壊したことがあり、

本当にキュー製作が好きだったのか?

と思わされたのも事実。キュー自体も

評価の定まらないまま消えてしまったのが惜しい。

 

*****

 

 

◆ アンディ・ギルバート GILBERT

 

ミズーリ州からフロリダ州に数年前引越し、

製作本数が減ってはいるが、凝ったデザインで

アメリカでの人気は高いアンディ・ギルバート。

 

10代からビリヤードを始め、同時に建設業で

働きつつ木工技術を習得していった。

 

キューの修理は当然お手の物。

その後、ガラス販売の仕事に携わるも、

大けがを負って廃業したのをきっかけに、

キューメーカーとなったという変わり種。

 

アンディ・ギルバートは、

アメリカ人としては小柄なのだが、

身体を巧みに使って、撞きづらいポジションでも

安定したショットを繰り出すところを見ると、

日本でいうところのA級プレイヤーなのは

間違いない。オレが知っている

キューメーカーの中では、トップクラスだ。

 

*****

 

 

◆ コグノセンティ(ジョー・ゴールド)COGNOSCENTI

 

イリノイ州シカゴのトッププレイヤーだった

ジョー・ゴールドが、

「自分なら最高のキューを作れる」

と考え、生み出したのがコグノセンティ。

 

G10ジョイントピン、斬新なデザイン、

卓越したプレイヤビリティで1990年代後半から

2000年代にかけて、絶大な人気を誇った。

 

合理的な考えの持ち主で、

キューの構造設計やデザインは外注し、

自らは製作に専念、販売は代理店任せ

という分業制を最初から取っていた。

 

ジョー・ゴールドは、

表情は穏やかでも目が笑っていないという、

真剣勝負では最も危険なタイプ。

 

オレはポジションプレーの考え方を教わり、

フレンドリーマッチでのプレーを見たぐらいだ。

実力は相当なものと言われていただけに、

本気のプレーを見たかった。

 

*****

 

 

◆ サムサラ(デイブ・ドーセットとジム・スタダム)SAMSARA

 

子供時代から木工に親しみ、12歳ですでに

キューを自作したというデイブ・ドーセットに、

ビリヤード好きな工務店勤務の

ビジネスマンだったジム・スタダムが、

ニューハンプシャー州の玉屋で出会い、

1990年に誕生したのがサムサラ。

 

製作に没頭するデイブを、ジムがビジネス面で

支えるという体制がプラスに働いたのだろう。

 

他メーカーからの影響を受けない、独自の技術や

デザインを生み出し、唯一無二の存在となった。

 

玉を撞かず、呑んだくれるJimと仕方なく付き合うDave
玉を撞かず、呑んだくれるJimと仕方なく付き合うDave

 

ただ、キューメーカーとして多忙を

極めたためか、二人ともプレーには無関心。

「プレーする暇があったら、

キュー製作に時間を使う」

スタイルを貫いたのだろう。

 

オレ自身、一緒に飲んだことはあっても、

玉を撞く姿は見たことはない。

 

*****

 

キューメーカーとのフレンドリーマッチ会場(ジョージア州アトランタ近郊の、J・アーチャーが経営していた店で。2013年)
キューメーカーとのフレンドリーマッチ会場(ジョージア州アトランタ近郊の、J・アーチャーが経営していた店で。2013年)

 

人気のキューメーカーは、

作品をテストするため玉を撞くことはあっても、

十分なプレー時間が取れるほど

ヒマではないのが普通だ。

 

それゆえ、キューメーカーになってから

玉が上達したというハナシを

オレは聞いたことがない。

 

「ビリヤードをプレーしたいなら、

キューメーカーにはならない方が良い」

とは、何人ものキューメーカーが言っていたこと。

 

結局、良いキューを作れるかどうかは、

プレーレベルとは比例しないというのが、実情だ。

 

次の依頼を待っているぜ!

よろしくな、BD!

 

(to be continued…)

 

…………

 

Detective Kについて詳しくはこちら

 

 

…………

 

BD Official Partners :  

世界に誇るMade in Japanのキューブランド。MEZZ / EXCEED 

創造性と匠の技が光る伝統の国産キュー。ADAM JAPAN 

ビリヤードアイテムの品揃え、国内最大級。NewArt 

末永くビリヤード場とプレイヤーのそばに。MECCA 

カスタムキュー、多数取り扱い中。UK Corporation

13都道府県で開催。アマチュアビリヤードリーグ。JPA

徹底した品質の追求。信頼できる道具をその手に。KAMUI BRAND

赤狩山幸男プロ参加の平日トーナメント開催中。 BAGUS

カーボン繊維構造REVOシャフト発売中。PREDATOR JAPAN

ジャストなビリヤードアイテムが見つかる。キューショップジャパン

2018年4月大阪市淀川区西中島に移転リニューアルオープン。日勝亭

オウルグローブ新モデル「+」(プラス)発売中。SHOP FLANNEL

国内外トッププレイヤー達が信頼する国産積層タップ。斬タップ

コロナウイルスで困っているお店を支援しよう。想いの輪 

 

………… 

 

Cue Ball Samurai―ビリヤードサムライLINEスタンプ 

 

 

<<<前の記事