〈BD〉青い目のビリヤー道人

Thomas Martin
Thomas Martin

 

横浜『ハイランド』に

打ち合わせで赴きました。

 

そう。このパターンは……。

 

木曜日でしたし、

 

「引き球魔神」アブーこと

虻川修プロ(JPBA)に会えるはず!

 

……と期待したのですが、今日は現れず。

 

代わりに、と言っちゃあ失礼だけれども、

 

トーマス・マーティン from アトランタがいました。

 

3年ぶりぐらいの来日です。

 

以前、東京在住時代に勤めていた会社との

会合などがあったようです。

 

(日本復帰のフラグかしら……)

 

ハイランド(&メッカ)のボス、

JPBA銘苅朝樹プロとも以前から

交流があったので訪れたとのこと。

 

トーマスのことをご存じない方に説明しますと、

 

現在はアトランタ在住で、

当地の日系企業に勤めるアメリカ人ですが、

 

以前、述べ10年ほど日本に住んでいたことがあり、

日本語はペラペラ。CUE'S誌の特派員だったのです。

 

日本語の流暢さは尋常ではなく、

 

僕が会社員時代、

彼から僕宛の電話を取り付いだ別の社員が、

何の疑いもなく日本人だと思っていたほどです。

 

「小林さん、外線4番にソウマツさんからお電話です!」

 

(誰だソウマツって。あ、トーマスか)

 

読み書きも日本人と同等以上にイケてます。

 

ひらがなもカタカナも漢字も解します。

 

「バラ」と「ゆううつ」と「かんぺき」を

漢字で書くことができるため、

 

日本人に漢字書き取り勝負をふっかけて、

ほぼ100%勝利を収めてビールをタダ飲みする、

という厄介なアメリカンです。

 

また、中央線(特に吉祥寺や荻窪)のビリヤード場と

雀荘事情に関しては日本人以上に詳しく、

 

それでまた根っからのビリヤード大好き人間なので、

 

そこを買われて(?)、

長らくCUE'S誌の専属特派員を務めていたという訳です。

 

(CUE'Sに提出する原稿はオール日本語でした)

 

自身がまた腕の立つビリヤードプレイヤーであり、

 

アメリカのトッププロやアマ(ギャンブラー)とは

親交が篤く、ネタの引き出しは無尽蔵でした。

 

僕の覚えている限り、

 

E・ストリックランド、J・アーチャー、R・スーケー、

M・イモネン、A・パグラヤン、R・モリス、

A・フィッシャー、K・コーなど、

 

欧米トッププロのインタビューを多数手がけています。

 

1999年や2000年頃は、

来日する欧米トッププロ達の世話役も務めていました。

 

「うーん、あれは超疲れたね。皆ワガママね(笑)」

 

トーマスはまたスリークッションも好きなので、

 

小林伸明先生、小森純一先生、

R・クールマンス、L・ディリス、

S・サエギナール、T・ブロムダールなどと

言葉をかわし、そのいくつかは原稿になりました。

 

森陽一郎プロ(JPBF)の『アレナ』にも

よく遊びに行ってました。

 

1999年頃から2007年頃にかけて、

 

彼の綴った生々しいアメリカンプール事情を読んで

「本場、熱いなぁ。行きたいぜ!」と

思った方も多いと思います。

 

かくいう僕がそうでしたし

(だからCUE'Sを志望したと言っても過言ではありません)、

 

CUE'S誌時代には仕事仲間としてお世話になりました。

 

で。

 

久々に会ったトーマスは、

相変わらず元気で日本語ペラペラでお酒とタバコが好きで、

 

また、ギャンブル好きなアメリカンでした

(会食の前にサクッとパチスロで稼いでるあたり、

相変わらずだなーっていう)。

 

焼き鳥屋で一緒に呑んだのですが、

彼のファーストオーダーは

 

「豚バラ、椎茸、ししとう、銀杏をお願いします」

 

(日本語のメニューを見て日本語で頼んでます)

 

「いやー、大好きなんだけどさ、

アメリカではめったに食べられないからね」

 

明日にはもうアメリカに帰るようですが、

 

「ひょっとすると、

この先日本に来る機会が増えるかもしれない」

とのこと。

 

なら、次回はスリークッションで勝負したいなぁ。

 

「いいよ。

 

こないだアトランタのコリアンタウンみたいな

所に行ったらさ、ビリヤード場があって。

 

なんとシュビロット2台置いてあるのよ。

もうコンディション、パーフェッ(発音が良すぎる)。

 

久しぶりにスリークッションやったら

7点のランが出ちゃってさー」

 

うん、わかったよ、トーマス。

 

早いとこビリヤード業界に戻ろうよ。