肥田緒里恵・LPBA初優勝

渡韓1年3ヶ月で手にした栄冠。元世界3C女王の飽くなき挑戦

2022年10月

Photo : WCBS 2022
Photo : WCBS 2022

 

隆盛を極める韓国キャロムビリヤード界。

 

一つの象徴的な競技団体・イベントが、

今年で4シーズン目を迎えた

PBA(Professional Billiards Associaition)だ。

 

PBAは、

多くの一般企業とスポンサー契約を結び、

高額賞金とステータス、

派手な演出とまばゆいTVテーブル、

工夫をこらしたルール・レギュレーション、

スリリングなチームリーグなど、

新しい視点で

「プロ」「メジャースポーツ」としての

スリークッションを再定義し、

国内外に発信している。

 

2021年に渡韓した

元3C世界女王の肥田緒里恵も

そこに魅力を感じ、挑戦を続けている一人。

 

適応に時間を要したが、9月の

『2022-2023シーズン LPBA第3戦』で

初優勝を飾った。

 

その喜びと苦闘の日々を振り返ってもらった。

 

→ 大会レポートはこちら

 

↓優勝を決めた第6セットの映像

前回あたりから気持ちを強く持って試合ができていた


 

――LPBA第3戦(2022年9月)の優勝から1ヶ月ほど経ちました。優勝の喜びや達成感は今もありますか?

 

肥田:優勝した4日後からPBAのチームリーグ戦(肥田プロは『SKレンタカーダイレクト』に所属)が2週間あったんですが、そこでの成績があまり良くなかったので、そちらの方に頭がいっちゃって、喜んだのも束の間……という感じでした(苦笑)。

 

――優勝した日のことを思い出すことは?

 

肥田:チーム戦をやっている時は試合の合間に時間があるので、動画を見返したりしていました。改めて「ツイてたな~」って思ったり、決勝戦で言えば「自分で踏ん張るところはちゃんと踏ん張れてるな」と感じました。あとは、PBAに移籍してからずっと結果が出ていなくて自信をどんどん失くしていたんですね。その中で前回(7月のシーズン第2戦。ベスト8)あたりから自信を取り戻すように、気持ちを強く持って試合ができていたんですが、その姿勢を第3戦で継続できたこともすごく印象に残っています。

 

――PBAデビューは昨年6月。約1年3ヶ月でのLPBA(個人タイトル)初優勝をどのように捉えていますか?

 

肥田:PBAに来てから負け続けだったので、優勝できてよかったと思います。優勝できずに終わってしまうことも十分ありえたので、優勝するってやっぱりすごいことなんだなと改めて思いました。

 

――勝てない間はやはり精神的にきつかったのでしょうか。

 

肥田:ギリギリでしたね。第2戦でベスト8に入るまでは、「もうこのままダメなんじゃないか」と思ってかなり自分の中でも追い込んでいました。以前から普段のプレーはそんなに悪くなかったんですが、試合に行くとダメになってしまうことが結構あって。チームの監督やキャプテンの姜東窮(カン・ドンコン)、それからPBAに出ている森雄介プロ(JPBF)などいろんな人にメンタル面でもアドバイスをいただきました。「あんまり結果を気にしすぎないで、とにかく普段通りやれば大丈夫」ってよく言われてましたね。それで第2戦でやっと自分のプレーができるようになってきて、「これだったら大丈夫かもしれない」と思って臨んだ第3戦で優勝できたので、良い感じで繋がっていったと思います。

 

© 2022 PBA/LPBA
© 2022 PBA/LPBA

自分が勝ったのか理解するのに一瞬時間が必要でした


 

――初優勝の勝因は?

 

肥田:全体的にツイてました(笑)。調子は第2戦の方が良かったんですけど、今回は本当にツキがありました。サバイバル(4人1台で撞く形式)の1ラウンド目(ラウンド128。初戦)からギリギリの試合展開でしたし、セットマッチになってからもベスト8(vs S・ピアビ〈カンボジア。優勝3回〉)では最終セットで何度かフロックが出ました。準決勝(vs キム・ボミ〈韓国〉)ももしフルセットになっていたらたぶん負けていたと思うんですけど、最後自分が3点取り切って上がれて。最後の決勝戦(vs イ・マリ〈韓国〉)も運が良かったと思います。

 

――LPBAで準決勝と決勝戦を撞くのは今回が初めてでしたが、緊張感やプレッシャーは?

 

肥田:ありました。ただ、ベスト8がピアビ(カンボジア)で、準決勝がキム・ボミ(韓国)と、(LPBA以前の)『世界選手権』などで顔なじみの選手だったので、変に意識することなく気持ち良く向かっていけたのは良かったと思います。決勝戦のイ・マリとは初対戦で、彼女のプレーを見たのも準決勝(キム・ガヨン戦)の少しだけだったんですけど、しっかりしたストロークで気持ち良く撞くタイプの方だったので、決勝戦も変な感じにならなくてやりやすかったです。

 

――優勝のワンモアを当てた瞬間の心境は?

 

肥田:そこまでの試合展開の中で自分が低迷してしまった時間帯もあったので、本当に自分が勝ったのか理解するのに一瞬時間が必要でした(笑)。勝った直後は……、PBAでは表彰式までの段取りが全部決まっていて、試合前に「勝ったらこのカメラにペンでサインして、ここでポーズを取って、表彰式のスピーチはこうで」と説明を受けるんですけど、それを思い出しながら対応していくのに精一杯でした。表彰式や記者会見が全部終わってから、お世話になっている『YG CAROM CLUB』に森プロと戻ってお寿司を食べた時にやっと一息ついてほっとしました。

 

――優勝賞金は約200万円。差し支えなければ、使い途は?

 

肥田:私は向こうでは年長者になるんですけど、普段は食事をごちそうになることばかりでした。なので、これまでもてなしてくれた方々やチームメンバー全員に食事をごちそうしたいですし、支えてくれた家族や周囲の方々にもお礼をしたいと思います。

 

――優勝する前とした後では、韓国の人達の対応は変わりましたか?

 

肥田:そこまで大きな変化ではないですが、チーム戦の場などで選手仲間からはよりオープンに接してもらえるようになった気がします。私がずっと苦労していたのはみんな知っていたので「良かったね」って声を掛けてくれたり。皆、私への応対がちょっとマイルドになったかなと思います(笑)。

 

© 2022 PBA/LPBA
© 2022 PBA/LPBA

器用じゃないので順応に時間がかかります


 

――そもそもPBAに挑むことにしたのは、どういったきっかけや動機があったのでしょうか?

 

肥田:まず、PBAでは、はっきり「プロ」として生活できる条件・環境があることが大きな要因でした。ビリヤードの練習をすることや試合に出ることが仕事。そんな世界で自分がどれだけできるのかと考えたら、すごくやってみたくなったんです。年齢的にも最後のチャンスだからチャレンジしてみたいと思って。

 

――PBAに移籍してすぐの初戦(2021―2022シーズン第1戦。6月)は戸惑いはありましたか?

 

肥田:ありましたね。自分はあまり器用じゃないので、新しいフォーマットとかシステムに順応するのが上手くいかなくて時間がかかってしまうんです。個人戦はともかく、「サバイバル」が難しかったですし、チームリーグ戦も自分が外して負けちゃうと申し訳なく思ったりして。チームの皆からは「そんなふうに思わなくていいんだよ」って言われるんですけど、やっぱり自分のミスで負けた時は申し訳ない気持ちが先に立ってしまって……今でも難しいです。

 

――PBAの試合環境やテーブル・ボールなどのコンディションにも馴染んできましたか?

 

肥田:やっと2年目で慣れてはきたんですけど、初めのうちは難しかったです。例えば、私のストロークは後ろでガーッと溜めてからガーッと前に出して行く昔ながらのスタイルで、それではPBAのコンディションでは確率が悪くなる球もあるんです。期待されてチームメンバーとして呼んでいただいたのに、個人戦は毎回サバイバルで負けてたし、チーム戦でもあまり活躍できてない。そういう状況だったので、姜東窮キャプテンや監督からいろいろアドバイスをいただいて、変えるべきところは変えて、とにかく練習しました。慣れるまで時間はかかりましたし、今もそれがちゃんとできてるかと言われると自信はないですけど……(苦笑)。

 

――今はニュースタイルになっているのですね。

 

肥田:そうですね。変えすぎて自分の良いところを見失ってしまったかもしれないですけどね。でも、それも時間が経つにつれて少しずつ整理できていくのかなと思います。目の病気(網膜剥離)のこともあったので、いずれにしても自分の撞き方は変えざるを得なかったですね。

 

――PBAでは「空クッション(前クッション)が2点」ですし、バンキングや初球の形もUMBルールとは異なります。そういったPBA独自のルールには慣れましたか?

 

肥田:慣れました。ただ、私は空クッションが下手なんです(苦笑)。韓国選手は皆さんテケテケやヒッカケが上手いですね。ちなみに、「空クッション2点」ルールは、もともと韓国の平場では人数撞きの「サバイバル」ゲームがあって、普段から向こうの人達はよく撞いてるんですけど、空クッションで当てると点数が倍になるんです。PBAのルールもそこに由来しています。見る側にとってはそっちの方が馴染みもあるし面白いっていう意見もありますね。それも含めて、純粋に得点力の高い選手が残れるようになっているルールだとは思います。

 

チーム戦の様子。チームメイトである姜東窮(カンドンコン)キャプテンとE・レペンスのハグシーン。© 2022 PBA/LPBA
チーム戦の様子。チームメイトである姜東窮(カンドンコン)キャプテンとE・レペンスのハグシーン。© 2022 PBA/LPBA

左目は失明寸前だったのですぐ手術になりました


 

――昨年末に目の病気をされて治療しました。それ以降、試合では眼鏡を使っておられましたね。

 

肥田:去年の11月、韓国にいる時に網膜剥離の症状が出ました。両目とも状態が悪くなっていたんですが、最初は気付かなくって。右目はレーザーで治療できたんですけど、左目は失明寸前だったので検査後すぐに手術になりました。日本に一時帰国して治療したいと思ってたんですけど、日本に帰ったら隔離期間の間に手遅れになると言われたので、しかたなく韓国で手術を受けました。入院や術後の治療で1ヶ月半くらい試合は休みました。あの時は目が開けられない、ちゃんと見えないという状況の中、様々な方に生活面で助けていただきました。

 

――術後の経過は良好ですか?

 

肥田:もう回復して、とりあえず再発もしないだろうということなんですが、手術した左目はピントを合わせる機能がもうなくて。視力が急激に落ちて、もともと1.2くらいあったのが0.1ないくらいまでになってしまったんです。以前は裸眼で球を撞いていたんですが、手術後から優勝した第3戦までは眼鏡を使っていました。ただコンタクトの方がやっぱり球を撞くのには楽なので、今はコンタクトを使っています。

 

――そんな状態から戦線復帰して優勝するというのは……意志の強さを感じます。

 

肥田:もう頑張るしかないというか、「このままでは終われないな」って。手術した後「チーム戦は出なくてもいいよ」と言われたんです。チームとしては私にゆっくり療養と調整をしてほしいということだったと思うんですけど、私は早くプレーを見てもらいたくて『試合に出たい』と言って出させてもらいました。正直言って2年目もチームに残れるかどうかはわからなかったんですけど、何とか残していただいてチーム戦に出られてます。今チームは8チーム中の8位ですし、個人成績も良くないので、来シーズンのことは全くわからないですけど(苦笑)。

 

――今後のPBAでの目標やプレイヤーとしての展望は? 

 

肥田:今はすごく良い環境を与えていただいてますが、これがずっと続くものではないと理解しています。なので、早くもう一度LPBAツアー(個人戦)で優勝したいですし、そのために今までと変わらず努力はしていくつもりです。今回の優勝についても、すごく良いプレーをしてアベレージも良くて優勝したかって言われるとそうではないので、プレーの内容や質をより上げて成績を出せる選手になりたいです。チーム戦に関しては、チームから信じてもらってメンバーに残していただいている身なので、その期待を裏切らずもっとチームに貢献できる選手になりたいですね。

 

(了)


© 2022 PBA/LPBA
© 2022 PBA/LPBA

 

肥田緒里恵 Orie Hida

 

東京都出身・ソウル郊外在住

1995年プロ入り(JPBF)

両親(肥田明と肥田一美)も共にプロ

『世界女子スリークッション選手権』優勝4回(2004年、2006年、2008年、2017年)

『全日本女子3C選手権』19勝

他、国内外で優勝・上位入賞多数

2021年6月よりPBA(韓国)転向

2022年9月『LPBA 2022-2023シーズン第3戦』優勝

使用キューはADAM JAPAN

使用タップはBIZEN Ⅲ  

スポンサー:SK rent a car、ADAM JAPAN、BIZEN TIP、Just do it

日本での活動拠点:東京『ビリヤード キャノン

 

 

※「聞いてみた!」の他のインタビューはこちら

 


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