梅田竜二 × 川端聡 特別対談

ドーハアジア大会20周年記念――金メダリストが語る勝利と現在地

2026年5月

 

今から20年前、

2006年にカタール・ドーハで開催された

『第15回 アジア競技大会』。

 

ビリヤード競技の

キャロム・スリークッション(3C)で

梅田竜二が、

 

プール(ポケットビリヤード)・8ボールで

川端聡が、

日本に金メダルをもたらしました。

 

それぞれ日本キャロム界では2人目の、

日本プール界では初めての

アジア大会金メダリスト。

 

“アジア版オリンピック”での金メダルは、

日本スポーツ史に刻まれる栄誉です。

 

その後ビリヤードは、

2010年大会を最後にアジア大会の

競技種目から外れてしまいましたが、

2030年のカタール・ドーハ大会で

復活する予定です(※記事はこちら)。

 

あのドーハの激闘から20年。

今なお日本トップのキューイストとして

活躍を続ける梅田竜二と川端聡。

 

今回は金メダル20周年特別企画として、

両名が当時から今にいたるまで

使い続けているキュー、ADAM JAPAN

サポートのもと対談取材が実現。

 

ドーハの思い出から現在の競技活動まで

たっぷり語ってもらいました。

 

※本稿は、2026年5月に当サイトの

ブログページ(What's New)で、

【前編】【中編】【後編】に分けて

公開していた原稿を一編にまとめたものです。

 

Supported by ADAM JAPAN

画像提供:On the hill !

資料提供:BILLIARD WALKER

取材協力:ビリヤード ヤマニ

2006ドーハ。その空気


2006 ドーハ大会後に日本で行われた祝勝会にて。画像:On the hill! 

 

 

――今日はお集まりいただきありがとうございます。お2人が対面するのはいつ以来ですか?

 

川端:それこそドーハの祝勝会以来ですね。

 

梅田:そう。だから20年ぶりってことですね。

 

川端:僕はよくYouTubeでスリークッション(3C)を見ていて、梅田さんのご活躍も拝見しています。だから、「お久しぶりです」ぐらいの感じです。

 

梅田:僕もたまにYouTubeでポケットを見てます。先日の『関東オープン』にはうち(梅田プロが営む東京『ヤマニ』)の選手も出てたので見てました。川端プロのこともたまに映像や写真で見てますから、そこまで久しぶりって感じではないですね。

 

――今日川端プロには金メダルをお持ちいただきましたが、梅田プロのは見当たらず。

 

川端:僕は金メダルはこれ1個しかないですけど、梅田さんは今までいくつも獲ってきたからたぶんあちこちに置いてあるんじゃ……。

 

梅田:江戸川区のお手伝いの時などに金メダルを展示していただくことがあって、その都度メダルを持ち出しています。確実に家かお店のどこかにはあるんですけど……(笑)。

 

――江戸川区のお手伝いというのは「ビリヤード講習会」ですか?

 

梅田:そうです。『共育プラザ平井』という所で中学生・高校生に教えてます。

 

川端:そういう行政の仕事も、金メダルがあると全然違うんですよね。僕もそれは心から感じます。

 

梅田:そうですね、全然違うと思います。

 

――川端プロは普段この金メダルはご自宅に置いているんですか?

 

川端:いや、普段はお店(長年所属している大阪『SUN』)で飾っていて、仕事などで持って行く必要があればその都度持ち出してます。そういう機会は結構あります。

 

――そもそもお2人が最初に会ったのは?

 

川端:ドーハの8年前の、タイ・バンコク大会(1998年。梅田3C銀メダル。川端8ボールダブルス銅メダル)の壮行会かな。日本選手団の壮行会が東京で行われて。皇族の方もお見えになって有名なスポーツ選手もいっぱいいました。

 

梅田:そう、品川プリンスホテルでやりましたね。

 

川端:そのバンコクでは同じ選手村にいましたけど、僕らポケットチームとキャロムチームは基本的に別行動でした。試合日程もずれてたかな。

 

梅田:バンコクでは島田さん(暁夫プロ)が3Cで金メダルで、僕が銀メダル。ポケットは高橋邦彦プロが複数メダルを獲って(9ボール銀、8ボール銅、8ボールダブルス銅)、川端プロもメダルを獲った。それで急遽、三笠宮寛仁親王殿下(2012年に66歳で薨去。上掲の祝勝会画像左3)がご臨席されて、日本ビリヤードチームでバンコクのホテルで祝勝会をやりましたよね。

 

川端:やりましたね。バンコクの頃はポケットは高橋さんしかメダルのチャンスがないと思われていたと思います。僕はペーペーやったし、おこぼれの銅メダル(笑)。でも、キャロムは行く前からメダル確定みたいな雰囲気じゃなかったですか?

 

梅田:いや、韓国の2人が強かったから、日本の2人で銅メダル1個だけっていう可能性もありました。結果的に準決勝で島田さんも僕もそれぞれ韓国選手に勝てたので、金銀ダブルで獲れました。

 

――タイ・バンコク大会(1998年)の頃からカタール・ドーハ大会(2006年)の頃にかけて、それほどコミュニケーションを取っていた訳ではないと思いますが、お互いにどんな印象を抱いていましたか?

 

川端:梅田さんは「メダルを獲るんだろうな」って見てました。

 

梅田:バンコクの時はまだそんなに自信はなかったですけど、ドーハの時は自分でも「獲れそうだな」という感覚はありました。川端プロのことは……僕は高橋プロと同い年なので「高橋プロのすぐ下の世代の人」という認識で、「次の世代のポケットチャンピオンだな」という感じで見てました。

 

 

――ドーハから20年が経ちましたが、当時を思い出すことは?

 

梅田:2030年アジア大会は再びカタール・ドーハで行われます。そこでビリヤードが20年ぶりに競技に復活するという記事を見て、当時を思い出しました。

 

川端:僕はしょっちゅう思い出します。メダルマッチ(準決勝・決勝戦)の印象が強すぎて。準決勝(L・アンダン)・決勝戦(A・ガビカ)と2試合連続でフィリピン選手と撞きました。カタールはフィリピンからの出稼ぎの人がめちゃくちゃ多くて、500~600人ぐらいのフィリピン人が観客席にいたんです。もう完全アウェイで、僕がスクラッチとかしようもんなら大拍手。そういう中で震えながら撞いてたんですけど、アウェイの空気を自分の力に変えられたことがすごく嬉しかった。今もそのシーンを思い出しますね。……あのギャラリーは本当にうっとうしかったけど(笑)。

 

――梅田プロはメダルマッチの雰囲気は覚えていますか。

 

梅田:覚えてます。決勝戦(vs ズオンアインヴー。ベトナム)はそれまでと違って、ひな壇みたいな一段高い所にテーブルが設置されていて、コンディションがまともになってました。試合内容は、僕のスタートが良くて自分の展開のまま進んで行って、途中で追い付かれたんですけど、それでも終始優勢な感覚がありました。

 

川端:羨ましい。僕、終始劣勢やったんで。

 

梅田:相手のヴー選手も何回も撞いたことのある人だったから、「こう戦えば大丈夫」とかそういうところまで頭が回っていて冷静でしたね。

 

川端:僕が自分の試合でよく覚えているのは、決勝戦は9ラック先取で5-7でリードされてたんですけど、ガビカがリーチをかける8番を撞いた時のことです。ガビカはクッション際の8番をゆっくり撞いたんですけど、テーブルが悪かったおかげでヨレて入らずに残ったんですよ。そこから僕が逆転できたのであのテーブルには感謝してます。普通のコンディションやったら絶対入ってる球でした。

 

君が代と金メダルの重み


 

――ドーハのテーブルについては、お2人とも「ひどかった」と直後の談話で語っていました。

 

川端:クッションレール上の「点」(ポイント)が見てわかるレベルで「あれ? ずれてる?」って。ポケットプレイヤーはそこまで点を見ないですけど、「これ、キャロムの人達、大丈夫なんかな」って思いました。たしかあの時初めてWiraka(ウィラカ)が自社製テーブルを出して、それが採用された大会だったと思います。

 

梅田:覚えてます。キャロムテーブルのポイントもずれてました(笑)。等間隔になってないし、クッションからの距離もまちまち。あと、クッションの高さが標準より2ミリぐらい高かったですね。クッションが手球の上の方に当たることになるので、動きが読めなかった。斜めからクッションに入ると噛みが多くてたくさん開くんですけど、クッションに対してほぼ垂直に入る時は全然開かずそのまま真っ直ぐ動く感じ。例えば、バタバタのラインが落ちないので、ずっと同じ所でバタバタしてました。あとは石板が薄くて球がよく跳ねるとか、ボールの表面がガサガサだったりとか、その動きに慣れないといけないという環境でした。だから、簡単なはずの球が二択のクイズになることもありました。

 

――と言いますと?

 

梅田:「これはクッションで伸びるのか詰まるのか。跳ねるのか跳ねないのか」みたいな。自分の答えが結構外れるんです(苦笑)。コンディションを読み続けるのも疲れるし、思ったように撞いても外れるし……精神的な戦いでしたね。でも、僕より相手の方がもっと疲れていたと思います。

 

――川端プロはどうでしたか? ポケットテーブルも石板やクッションのイレギュラーを感じましたか?

 

川端:9ボールではすごい感じたんですけど、8ボールではそこまでではなかったですね。なるべく手球を動かさないようにして取れる種目なので、クッションもそんなにたくさん使わなかったし、そこまで影響を受けなかったと思います。

 

――もう一つ、当時お2人が共通して話していたのは表彰式のことです。「君が代」が流れて感動したけれど、「アジアでは泣かない。世界で泣こう」と決めていたと。それでも「君が代」が流れた瞬間は誇らしい気分だったのではないかと思います。

 

梅田:もちろん。あれはいいですね。

 

川端:ちょうど僕が8ボールのベスト8を撞いている時に3Cの表彰式が始まって「君が代」が流れたんですよ。撞きながら鳥肌が立ちました。「梅田さん、すげぇなあ。自分も流したい。あと3回勝たんと」って。あれがなかったら僕は頑張れてなかったかもしれない。本当に震えましたね、梅田さんの「君が代」が会場に流れた時は。

 

――8ボールの表彰式で君が代を流してもらった時は?

 

川端:鳥肌立ちました。一緒に行ってたポケットチームの女子2人(栗林〈当時は福家姓〉美幸、大谷晃央)は大泣きしてました。でも、先に1回聞いてるんで、もちろん感動はしてましたけど、それ以上に表彰台の真ん中に立てたことが嬉しかったですね。

 

梅田:そう、国歌は真ん中に立っている優勝者のためだけに流れるんで、それが気持ちいいんですよ。

2枚目:キャロム・スリークッション。左から、銀:ズオンアインヴー(ベトナム)/金:梅田竜二/銅:金京律(韓国。キムキョンルー。2015年逝去)

3枚目:プール(ポケットビリヤード)・8ボール。左から、銀:アントニオ・ガビカ(フィリピン)/金:川端聡/銅:黄焜璋(台湾。ホアンクンチャン)

 

 

――ちなみに、梅田プロは今までに何回、表彰台の真ん中で「君が代」を聞きましたか?

 

梅田:そんなにないですよ。合計3回です。ドーハの他に『3C世界選手権』(2007年エクアドル・クエンカ)と『アジアインドア・マーシャルアーツゲームズ』(2013年韓国・仁川)です。

 

――世界選手権の「君が代」はより一層嬉しかったですか?

 

梅田:そうですね。やっぱりアジアだけでなく世界の強い人がいっぱいいて、そういう人達に勝っての優勝だったので。

 

――前編の冒頭でも少し出てきましたが、アジア大会で金メダルを獲ったことは、その後の人生に大きな影響を及ぼしたと思いますか?

 

川端:全然変わりますね。ポケットもスリークッションも『世界選手権』は毎年あるじゃないですか。でも、アジア大会は4年に1回だから、重みというか相手の受け止め方が違います。行政の方とのお話やお仕事のお話もすごくしやすいです。

 

梅田:そうですね。区から表彰されたりとかもありますし、全然違いますよね。例えば、「児童館にビリヤードテーブルを置きたい」というような普及活動の話もしやすいです。区長に直接連絡したり。金メダルを持って行けばだいたい大丈夫(笑)。

 

――アジア大会は「オリンピックゲーム」なので、そもそもビリヤード界の『世界選手権』などの大会とは性質が違いますね。

 

川端:そう、全く違う世界です。たくさんの競技種目の人がいて、選手村があって、他競技の選手と交流できたり、有名な選手が目の前にいたり……少なくともビリヤードだけの世界じゃないです。

 

梅田:僕はバレーボールの女子選手にサインをもらったことがあります(笑)。

 

川端:あと、金メダルを獲ると、選手村の中の大通りに写真と名前入りで「GOLD MEDALIST」の垂れ幕が掲示されるんですよ。それがめちゃくちゃ嬉しかった。「俺だ!!」って。あれ、持って帰りたかったな。

 

――アジア大会は試合方式(フォーマット)も『世界選手権』などとは違います。予選ラウンド(グループリーグやダブルイリミネーションステージ)はなくて、シングルトーナメント一発勝負。それはプレッシャーになりませんか?

 

梅田:一発勝負なのは試合前からわかっていることですし、精神的な部分は向こうに行った時にはクリアしていたと思います。それと、世界ランキングなのかアジアランキングなのかわからないですけど、ランキングで枠順が決められていて。日本・韓国・ベトナムの選手はシード選手扱いになっていて、1回戦は強くない国の選手と当たることが多かった。なので、特に1~2回戦あたりは結構練習のつもりで撞けました。

 

川端:ポケットもたぶんランキングで振り分けられてたと思います。僕も1~2回戦で台湾やフィリピンの選手とは当たらない枠に入ってました。ただ、梅田さんみたいに練習とかそんな余裕は全くなかったです。

 

――ドーハの時、梅田プロが38歳で川端プロが36歳。振り返ってみて当時は心技体が充実していた時でしょうか?

 

梅田:そうですね。一番良かった時だったと思います。

 

――ビリヤード選手は身体のどこかを痛める人も多いですが、当時のお2人は?

 

川端:なかったですね。

 

梅田:全然ないですね。体力もあるし精神的にも強かった。闘争心が今とは全然違います。「勝つんだ」「倒すんだ」って気持ちはあの頃が一番強かったと思います。

 

――今もそんな空気を感じますが。

 

梅田:いや、なかなか難しいですよ。「こいつを倒してやろう」とか「この試合で優勝しよう」と思うのは思うけど、あの頃の気持ちにはなかなかなれてないと思います。

 

川端:それは同じですね。ただ、ドーハの時の僕は、というかポケットチームは、キャロムに比べればそこまでメダルを期待されてなかったと思うんです。もちろん言葉ではメダルへの期待をかけられてましたけど、「皆本当はどう思ってはるんかな」と思うこともありました。

 

ベテランの現在地、そして未来


 

――金メダル以降のこの20年間はプレイヤーとしてどう進化・成長してきたと思いますか?

 

梅田:ドーハをきっかけに世界のランキング上位に行けたと思います。あれが大きなステップだったのかなと。金メダルを目標に相当練習してきて、その流れのまま世界に出られたという気はします(翌2007年に3C世界選手権優勝)。

 

川端:僕もドーハ以降、頻繁に海外に行くようになりました。最高でベスト8ぐらいであんまり上位には行けなかったですけど、いろんな経験をさせてもらいましたし、そのおかげで日本のランキングでは長く上の方にいられているのかなと思います。でも、ドーハの何年後かにキューが出なくなって10年ぐらい苦しみました。最近それを克服できてもう一度色々と頑張れるようになって、今またビリヤードが楽しくなりました。

 

――お2人とも「ベテラン」と表現される年齢ですが、そう呼ばれることに抵抗感は?

 

川端:ベテラン、言われますね。もう受け入れてるし、どっちか言ったら教える立場になるような年齢なのかなって。それに、『JPBAシニアオープン』にも出てますしね(2025年大会で優勝。出場資格は満55歳以上)。

 

梅田:3Cの『全日本シニア』の出場資格は60歳からですね。でも、僕が60歳になってすぐ出たらブーイングでしょう(笑)。

 

川端:梅田さんが出たらヤバいです。ダメです(笑)。あと2年で出られるんですか?

 

梅田:そう、あと2年で出られるけど、60を越えても出ない人は結構います。70ぐらいになったら出てもいいかなって気はしますけどね。

 

――梅田プロはベテランと表現されることについては?

 

梅田:まあしょうがないですよね。僕よりも上の人と対戦することが少なくなってきましたから。今試合で上位に入る年上の選手は新井さん(達雄プロ)ぐらい。あとはだいたい年下ですからね。

 

川端:新井さんもすごいですよね。

 

梅田:新井さん、この5月で68だ。すごいです。

 

――以前からお2人のお話を聞いていると、フィジカルや体力について触れることも度々ありました。昔から重要性を認識し、身体づくりをしていたのでしょうか。

 

川端:僕はドーハの頃、いや、ドーハの前あたりからずっとやってました。それが必要だと思ってましたし、単純に走ってると嫌なことを全て忘れられるので。

 

――ウエイトトレーニングや筋トレなども?

 

川端:本気じゃないですけど、腕立てとか腹筋とかはちょっとずつやってました。今でも続けてます。

 

――梅田プロは?

 

梅田:ドーハぐらいまでは結構身体づくりをしてたんですけど、その後世界ランキングが上がっていろんな国際大会にシードで出られるようになったら時間がなくなってしまって。海外に行って帰って来て日本で試合して、また海外に行く……というのが何年も続くうちにサボっちゃいました。でも、コロナ禍の時はお店を開けられず、やることがなくなったのでウォーキングをするようになり、そのうち走り出して、楽しくなってきてだんだん距離が長くなりました。72キロあった体重が58キロになっちゃって。

 

川端:それは絞りすぎですね。

 

梅田:その頃は10km走ってたんです。ある時鏡を見たらマラソン選手みたいな身体になっちゃって、椅子に座るとお尻が痛いんですよ。これはまずいなと思って、まず太るところ、お尻を大きくするにはどうするかみたいなところから始めました。今で64~65kgですけど、そこまで戻すのに2、3年かかりましたね。今はもう痩せない程度にしか走らないです。ビリヤードのトップ選手ってだいたいビョーキだから、やりだすとやりすぎちゃうし、やりすぎないと気が付かない(笑)。

 

川端:(笑)やらないとムズムズする、みたいな。僕はコロナ禍でめっちゃ太って、74kgぐらいまで行った時にこれはヤバいなと。そこでちょっと運動を頑張ったら63kgぐらいまで落ちました。最近みんなに「大丈夫ですか?」って言われます(※川端プロが急激に痩せたように感じられたので心配する人が多くいた)。

 

梅田:これぐらいの年齢になると痩せちゃまずいんですよね。痩せだしたら止まらないんで、そうないように気を付けないといけない。なので、夜ご飯は絶対炭水化物を食べようとか。

 

川端:僕も米は絶対食べようって。

 

梅田:いくらお酒を飲んでも炭水化物はしっかり取ろうと。

 

――食事に関しても研究や実践をしているんでしょうか?

 

川端:僕は食事に関してはうちの奥さんに任せています。厳しく管理してはいないですけど、油物はちょっと抑えたりとか。あとはいつも弁当を作ってもらってそれを持って仕事に行ってます。

 

梅田:素晴らしい奥さんだなぁ。僕は基本的に自分で作ることが多いですね。昼と夜はここ(ヤマニ)で自分で作ります。外食することもありますけど、コンビニのものとかファストフードはできるだけ食べないようにしています。高血圧なんで、毎月病院に行って先生に食事のことも話しています。「お酒をこれぐらい飲んでるんだけど大丈夫?」とか。

 

――またお酒ですか(笑)。

 

梅田:「走ってたら大丈夫です」って(笑)。1日30分運動してればだいたい大丈夫かな。

 

1枚目:梅田竜二・2026年ADAM OPENにて

2枚目:川端聡・2026年関東オープンにて

 

 

――今も第一線で活躍するお2人ですが、活動テーマや目標にしていることとは?

 

梅田:僕は51歳になった時に「70歳になっても同じプレーができるようにしたい」と思ったんですよ。なのでそのための努力をしています。プレー内容が変わるのはしょうがないんですけど、体力的に1日何時間でも試合ができる状態でいたいし、それを保てるようにしたいと思っています。

 

――今58歳。良い感じでしょうか。

 

梅田:まあそうですね。球は上手くなってるんですけど、当たるかどうか、ポケットなら入るかどうか、つまり勝てるかどうかはまた別の話かなと。でも、できれば70歳でも今と同じぐらいのアベレージでいたいと思ってます。

 

――3C含むキャロム競技は年齢層が幅広くて、ワールドトップクラスの方々も息の長い活躍をされていますね。

 

梅田:今の3Cの世界トップの人達は僕よりも先輩が何人もいます。T・ブロムダール(スウェーデン)やM・ザネッティ(イタリア)は現役バリバリだし、プレーを見てると「どうなってんのかな」って本当に思いますよ。彼らを見てるとまだまだ辞める訳にはいかないなって思います。

 

――川端プロはいかがでしょう。

 

川端:最近ポケットの日本選手も上手な人、強い人がたくさん出てきているので、やっぱり勝つのは難しくなってきてると思います。世界を見ても若い子がどんどん出て来てます。そんな中で今大井くん(大井直幸プロ)が頑張ってますけど、あれはすごい刺激になってますね。自分もまた海外でやってみたいなって気持ちもあります。あとは梅田さんとだいたい一緒ですね。あとどれぐらいできるのかな、あと10年頑張れたらいいかなとか考えますね。

 

――ポケットで川端プロより上の世代で今も活躍している世界の選手となると、F・ブスタマンテ(フィリピン)やスーケー(ドイツ)ですね。

 

川端:そう、1週間ぐらい前にブスタマンテさんが『SUN』に来てくれて、エキシビションマッチをやらせていただいたんですけど、以前の迫力に上手さが加わってました。昨年はエフレン(・レイズ)さんともやったけど、やっぱり上手い、上手すぎでした。「この人たちやっぱすげえな」って。ああいう人達と撞けるのは楽しいし、良いビリヤード人生だなと思います。

 

――さて、2030年には再びアジア大会がドーハで開かれ、ビリヤードが競技種目に戻る予定ですが、また出たいと思いますか?

 

梅田:チャンスがあれば代表選考会に出たいし、もし代表に選ばれたらもちろん金メダルを目指します。

 

川端:僕も代表選考会があれば出たいです。でも、コーチやスタッフとして行きたくはないですね。僕自身アジア大会では日本のコーチにすごくお世話になりましたけど、あの仕事はとても僕にはできないなと(笑)。

 

梅田:あれは本当に大変ですよね、ずっと気を遣って動いていて。そういえば、ドーハって選手村にお酒が持ち込めなかったじゃないですか(※カタールはイスラム教のため飲酒が厳格に制限されている。認可された外国人向けの飲食店やバーだけで提供されている)。それも大変でしたね。でも、なぜかある日、選手村の冷蔵庫にお酒が入ってたんですよ。日本の別競技のチームのものだったと思うんですけど。

 

川端:あ、それはひょっとすると………(小声になる)。

 

(了)

 

※両プロがドーハ大会から現在にいたるまで愛用しているADAM JAPANキューについて語っている【番外編】はこちら

 

Ryuji Umeda

1968年10月22日生まれ

東京都出身&在住

1991年度JPBF入会

2006年『アジア大会(カタール・ドーハ)』スリークッション金メダリスト

2007年『世界3C選手権』優勝

2006年、2009年、2015年、2022年、2023年、2024年、2025年『全日本3C選手権』優勝

2025年『ジャパンカップ』優勝

『全日本プロスリークッション選手権大会 ADAM JAPAN杯』優勝5回

『ニッカオープン』優勝9回

『全関東3C選手権』優勝4回

JPBFスリークッション年間ランキング1位/9回

他、優勝入賞多数

使用キューはADAM JAPAN MUSASHI(シャフトはノーマルシャフト)

使用タップはKAMUI

東京・小岩『ヤマニ』所属 

スポンサー:『ADAM JAPAN』

 

Satoshi Kawabata

1970年3月7日生

大阪府出身&在住

JPBA29期生(1996年入会)

2006年『アジア大会(カタール・ドーハ)』8ボール金メダリスト

2000年『ジャパンオープン』優勝

2019年『全日本14-1』優勝

JPBA年間ランキング1位3回

『関西オープン』3勝

『東海グランプリ』2勝

『JPBAチャンピオンシップ』2勝

『GPW』では14勝

他、優勝入賞多数

使用キューはADAM JAPAN

使用タップはBIZEN

使用チョークはハイブリッドチョーク

所属・スポンサー:『ADAM JAPAN』『BANDEL』『Blue Rose』『ハイブリッドチョーク』『BIZEN Tip』『max』『session』『LUNARIS』『SUN森ノ宮本店』『SUN神戸元町店』『あそびば』『忘我』

 

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