38回の歴史を誇るジャパンオープン。
史上初のアマチュア頂上決戦を
予想できた人は皆無だったに違いない。
現・球聖位 小宮鐘之介。
現・マスターズ王者 中野雅之。
名実ともにトップアマとして活躍する両選手が
勝負強さと試合巧者ぶりを発揮。
スポットライトを浴び続けながら
プロや海外勢と堂々と切り結んでいた。
そして22年ぶりに誕生したアマチュア王者。
西嶋大策アマ(現プロ)が
2003年に史上初のアマ王者になった時、
小宮鐘之介少年は8歳。
まだビリヤードに出会っていなかった。
時代は新世代の覇者とともに巡る。
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――ジャパンオープン初優勝。まず率直なお気持ちを。
小宮:勝ちには行ってたんですけど、本当に優勝まで届くとは思ってなかったんで素直に嬉しいです。
――小宮選手にとって『ジャパンオープン』はどんな大会ですか?
小宮:ビリヤードを始めた頃からの憧れの大会で、自分の中ではすごい特別な試合って感じですね。僕は予選で負けて悔しい思いをした年も、「絶対観に行かなきゃ」みたいな感じで決勝日(ニューピアホール)に観に来てましたし、「来年こそはここで撞きたい」ってずっと目指してました。たぶんビリヤードをやってる人だったらみんなそう思うと思います。だから今回、ここで撞けたこと、勝てたこと、全部が特別な経験になりました。
――今回3日間で9試合プレーしましたが疲れはありますか?
小宮:初日は勝者側から勝ち進めましたし、2日目もスコア的にそこまで競らずに行けたので、全然疲れは感じてなかったです。アマチュアの大会の方が1日でプレーする試合数が多いので、ジャパンオープンは体力的には全然大丈夫でした。
――どんな目標を持っていましたか?
小宮:初日の1試合目から優勝を目指してました。昨年はベスト64(vs 林武志プロ)で敗れて、ジェフリー・イグナシオ(昨年度覇者。フィリピン)と試合ができなかったのが少し残念だったので(笑)、「今年は何がなんでも上に行ってやるぞ」と。
――初日と2日目で5試合撞きしました。この5試合の自己評価は?
小宮:あんまり台のコンディションとかで迷うこともなく、基本的には上手く撞けていたかなと思います。でも、初日の初戦(vs 竹村幸祐)の10ショット練習の時にメインで使っているシャフト(ウッドシャフト)のタップが飛んでしまって(苦笑)。
――ええっ。
小宮:それで初戦はカーボンシャフトで撞いてました。その後、飛んだタップを付け直して2試合目(vs 赤狩山幸男)に臨み、ヒルヒルで勝てました。そんなアクシデントもありながら開き直って撞けたこと、そして、初日を勝者側から勝ち抜けたことには高い点数を付けられます。そのまま2日目も冷静に撞けていたと思います。
――初の特設会場行きが決まった瞬間(ベスト32 vs 余豊熙に勝利)は嬉しかったですか?
小宮:超嬉しかったですね。特設会場に行くにはベスト32で日本や海外のトップ選手を倒さなきゃいけないことはよくわかってました。今回のベスト32の余豊熙選手(台湾)が上手いことも前からわかっていたので、いつもより気合いを入れて行きました。その気持ちの持って行き方と周りの方々の応援が上手く噛み合って良いプレーをすることが出来たと思います。
――初めて選手として足を踏み入れた『ニューピアホール』は?
小宮:お客さんとして観に来た時はふわふわした気持ちで会場を客観的に眺めて「寒い」「明るい」「暗い」とか言ってましたけど、選手として来てみたら、入場した瞬間から気持ちがピリッとしていて、自分がビリヤードをするステージとテーブルにしか目が行かなかったですね。余計なことは一切考えてなかったです。
――照明が当たる中で大勢の観客に観られながら撞く気持ちは? そして、テーブルコンディションは?
小宮:人に見られながら撞くプレッシャーみたいなのはほとんどなかったです。『球聖戦』とか色々なアマチュア公式戦の決勝戦とかで経験していたので。それよりもあまり撞き慣れていないダイヤモンドテーブルと新ラシャ(ニッケ・ニューブリエ)を上手くこなせるかどうかが気になってました。そして、ボールは初日と2日目はダイナスフィアでしたけど、最終日だけアラミス・ブラックに。僕、それを知らなくて(笑)、台もラシャもボールも全て撞き慣れてないものだったので試合前は色々と考えてました。そのおかげで観客や周りの風景とかに意識が行かなくて、ずっと球のことを考えたままプレーできたのかなと思います。
――朝イチでいきなり新ラシャに合わせるのは大変ですよね。
小宮:はい。初戦(ベスト16 vs キムボムソ)は全然ダメでしたね。試合前の2分間練習の時に「終わったな」って(笑)。もし相手が頭からバチバチにコンディションに合わせてきたら太刀打ちできないなっていうのが正直な気持ちでした。とりあえずこちらは色々考えながら撞いてみて、ダメならセーフティだなと。結果的に相手もそんな流れに付き合ってくれたんで、この試合の間になんとなく新ラシャの撞き方がまとまりました。
――その後、ベスト8(vs 林武志)と準決勝(vs 木原弘貴)を撞きながら、自分の状態やテーブルコンディションへの対応力を上げて行ったのでしょうか。
小宮:自分自身の状態はもともとずっと良かったので、自分のイメージや考えを疑うことがなかったです。「この台はこうなるよ。この球はこうなるよ」という感覚を信じて撞いてました。もちろん全ての球が自分の思い通りに動いてくれた訳じゃないですけど、妥協できる範囲だったので自分自身を疑うことはなかったです。
――決勝日の4試合で印象に残っているシーンは?
小宮:良いところは色々あったんですけど、客観的に振り返ってよく撞けたなと思うのは「10ボールコンビ」です。今回優勝するにあたって10ボールをコンビで入れたシーンは結構カギになっていると思います。ベスト16から決勝戦まで、どの試合も1回は10ボールコンビを決めてるんじゃないですかね。ベスト8(vs 林武志)でも決勝戦(vs 中野雅之)でも、競ってる時にすごいいやらしい10ボールコンビを入れたんですけど、自分でもナイス判断だったと思います。新ラシャのコンビは難しいですけど、スピードに気を付けながらイメージ通りにショットできました。セーフティに逃げずにコンビを選んで決め切れたという判断も含めて印象に残ってます。
――決勝戦( vs 中野雅之)はジャパンオープン史上初のアマ対決となりました。お互いにブレイクに苦しんでる感じもあり、行き切れない形が続きました。
小宮:僕はブレイクノーインは第2ラックの1回だけだったと思います。でも、毎回配置が……みたいな感じでしたね。中野さんはノーインが何度かあったんですけど、そこで僕が取り切れそうな配置を取り切れなかった。それが中盤まで競り合う展開になった原因の一つだと思います。空調の影響だと思うんですけど、決勝戦の間にもボールの伸び方が結構細かく変わってましたし、少しラインを読み間違えた球もありました。そこに対応しきれないまま中盤まで進んでしまった感じでしたね。
――競り合いの中で緊張感や焦る気持ちはなかったですか?
小宮:緊張は決勝戦まで来たらほとんどなかったです。たしかに4-5にされた時とかは自分がミスってターンを渡して追い越されるという展開でしたけど、「コンディションが変わり続けてるし、難しいからミスってもしょうがない。また回って来るまで待っとけ」って自分に言い聞かせてました。簡単な台で何度もミスったらヤバいですけど、難しい台でミスるのはお互い様だと思ってましたし、「まだチャンスは来る」と思ってたんで焦りはなかったです。(応援に駆け付けた)エニシング軍団は僕のすぐ後ろでめっちゃ焦ってたみたいですけど(笑)。
――4-5から小宮選手が4ラック連取して8-5で勝利しました。終盤はコンディションへの対応を含め、気持ちの整理ができていたのでしょうか。
小宮:そうですね。台の状態や雰囲気とかもわかってきてましたし、ずっと集中できてました。セーフティー合戦のやり取りとかショットの判断も良かったと思います。それで相手のミスを拾えたっていうのもあります。
――最後は8番でターンが回って来ました。残り3球。
小宮:相手がミスした8番が止まって、「シュート、あるな」ってわかった時に、まず座ってる状態で持ち時間を確認しました。残り1分ぐらいしかなかったので急いで8番に向かった感じです(※持ち時間を使い切ると25秒ショットクロックに移行する)。1分以内に8番を入れたら、持ち時間切れ直後の1球は時間を使えるんで9番で勝負しようと。
――8番を入れて、9番をヘッド側のコーナーに取るように出しました。
小宮:手球はクッションから少し浮いてたんで、キューを立てて引いても(9番をフット側コーナーに取るように出しても)良かったんですけど、その覚悟をするには1分じゃ足らなかった。それで遠い方のコーナーに取りに行ってますけど、9番に完璧に出ることはないと思ってたんで、最低限出しミスしないスピードで8番を撞こうと。だから、9番へのポジションはあそこで全然オッケーです。むしろ8番を入れただけで100点だと思います。9番はロングになっても気持ちが付いてくれば絶対に入ると思ってました。
――9番はポケットの手前のクッションをなめるようにしてイン。手球はゲームボールに対してベストな場所に止まりました。
小宮:9番は時間が結構あったんで、「少し薄めから狙え」「先球のスピードを意識しよう」って自分に言い聞かせてから撞きました。先球と手球が近くて厚く外しがちな球なので。そうしたら、自分が思った以上に9番が薄く走って行ったので「ヤバい」って。新ラシャだからあのぐらい手前のクッションに入っても球が入るのはなんとなくわかってましたけど、それでも心臓が止まるかと思いました。9番が入った瞬間、10番へのポジションは全く見ずに「生きてる~」って。
――ゲームボールを入れた直後の気持ちは?
小宮:みんなの拍手が聞こえてくるまで結構タイムラグがあったというか、10番を入れて「ふぅ」ってなってから聞こえてきたぐらいの感じだったんで、中野さんと握手をした時に「勝ったんだな」と。9番でヒヤッとしたのもありますし、まさか本当に自分が優勝できるとは思わなかったんで、10番入れてすぐガッツポーズで「よっしゃあ!」みたいな感じじゃなかったです。応援団がめちゃめちゃ喜んでくれてるのを見た時に「ああ、本当に勝ったんだな」「嬉しいな」と思いました。
――改めて優勝の要因は何だったと思いますか。
小宮:試合に向き合う時にみんなが思ってることだと思うんですけど、「絶対に球から逃げないぞ」と思ってましたし、それをずっと実行できたのが良かったと思います。1試合目から全て「嫌な球が来ても嫌な展開になっても逃げない。逃げてたら優勝できないよ」って思いながらバンキングしてました。そのおかげで3日間通して良い集中ができていたのかなと思います。
――これまで獲得してきたアマチュアの全国タイトルと、今回のプロ・アマ混合のジャパンオープンというタイトルは別物という感覚でしょうか?
小宮:全然違いますね。勝つ難しさもそうですけど、プロの方達がジャパンオープンにかけている思いみたいなものは僕も何年も感じてますし、海外勢も含めて全員が本気で勝ちに来てるオープン戦で優勝するというのはまた違う重みがあります。
――2003年大会(西嶋大策。現プロ)以来22年ぶりのアマチュアチャンピオンとなりました。
小宮:22年前、僕は8歳でまだビリヤードをやってなかったです。その4年後ぐらいに始めました。なので「22年ぶりの快挙」って言われてもあんまり自分ではピンと来てないですね。西嶋プロのことは知ってますけど、当時アマチュアがジャパンオープンを制したすごさやその時の盛り上がりは知らないので、今回僕は「自分が記録を塗り替えよう。歴史を作ろう」みたいな意識は全然なかったです。今の時代は「出来が良ければプロもアマも関係なく成績を残せる」と思ってます。
――今後の競技活動は?
小宮:仕事と家庭があるので練習時間はいつも通りというか、ビリヤードのルーティンを取るのが精一杯なので、そこはしっかりキープできるようにしたいです。これからは「ジャパンオープンチャンピオン」という目で見られると思うんで、今よりもっと見られてるという意識を持ってビリヤードができたら、自分の成長にもなるのかなと思います。
――最後に応援してくれた方々に一言。
小宮:『エニシング』の皆さんをはじめ、応援してくださった方、サポートしてくださった方、本当にありがとうございました。最近様々な形で支えてくださる方が増えてきていますので、その一人ひとりに感謝しつつ、これからもビリヤードを続けていきたいと思います。たまにお酒を飲みながらわいわいビリヤードをしたり、ふざけたりすることもあると思いますけど、それは許してください(笑)。これからも応援よろしくお願いします。
(了)
Shonosuke Komiya
1994年12月6日生まれ・東京都出身
所属店:『ANYTHING』(千葉)
プレー歴:約18年
職業:会社員
プレーキュー:Far East(シャフトは福、タップはNAOLLY M)
ブレイクキュー:Geez Cue TANK
ジャンプキュー:Aggressive Jump
タイトル:
アマ『球聖位』在位5期(第29期、第30期、第31期、第32期、第33期)
アマ『全関東』優勝
アマ『9ボールクラシック』優勝
2023年『アマナイン』優勝
2023年&2024年『東日本神奈川10ボール』優勝
2025年『ジャパンオープン』優勝
JPBAプロトーナメント『Grand Prix East』準優勝1回(2016年)、
他、入賞多数
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