探訪! 旧岩崎邸・撞球室

そこにビリヤードテーブルは……!?!?

2013年10月

旧岩崎邸
旧岩崎邸

明治29年、三菱創始者の岩崎家の館として

 

さあ、初めて一般公開されたという

「旧岩崎邸・撞球室」を観に行く、

小旅行の始まりですー♪

 

まず、重要文化財『旧岩崎邸庭園』とは何か、

ご説明しましょう。

 

岩崎邸は明治29年に東京・湯島に建てられた

「日本の建築史に残る洋館」として知られます

 

写真で見たことのある人もいるかもしれません。

 

持ち主は三菱の創始者の岩崎家。

 

設計はイギリス人のジョサイア・コンドルという人。

(あの鹿鳴館を設計した人です。

鹿鳴館にもビリヤードスペースがあったそう)

 

このコンドルさんが、洋館(本館)だけでなく、

別棟も(離れ)も設計しました。

 

その離れの名が「撞球室」(Billiards Room)。

 

パンフレットから撞球室の紹介文を引用します。

 

「コンドル設計の撞球室(ビリヤード場)は、

洋館から少し離れた位置に別棟として建つ。

 

ジャコビアン様式の洋館とは異なり、

当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の

造りとなっている。

 

全体は木造建築で、校倉(あぜくら)造り風の壁、

刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、

 

木造ゴシックの流れを組むデザインである。

洋館から地下で繋がっている」

 

これはもう写真を見てもらった方が早いですね。

 

 

左側の白いのが洋館(岩崎邸)で、

 

その右側に黒っぽい小屋みたいのが見えると思いますが、

これが「撞球室」です。

 

うーん、この写真では小さすぎるな……。

 

正門。ここから坂道を行く
正門。ここから坂道を行く
お庭側から見た和館(左)と洋館(ひと続きの珍しい建築)
お庭側から見た和館(左)と洋館(ひと続きの珍しい建築)
和館の縁側
和館の縁側

いざ、旧岩崎邸庭園を訪問

 

旧岩崎邸庭園の最寄り駅は千代田線湯島駅です。

 

「上野エリア」の一画と言えます。不忍池もすぐちかく。

 

地下鉄湯島駅から徒歩3分で庭園の入口に到着。

 

そこから、砂利敷の坂道を登ると洋館が見えてきます。

 

入園料400円を払って館の入り口へ。

 

本館を正面に見て、

その左側にすでに撞球室らしき黒っぽい離れが見えているんですが、

 

どうやら順路的にそこは一番最後らしい。

 

そして、予想はしていたけれども館内撮影禁止!

(建物の外は大丈夫)

 

カメラをしまい、心穏やかに洋館内部を順路通りに巡ります。

 

ゆったりと館内を歩いていると、

それはそれで見どころも多く、

 

明治時代へのタイムスリップ感も味わえました。

 

若いカップルから僕の両親ぐらいの世代の人まで、

結構多くの人が観覧していました

(ボランティアによる無料ガイドあり)。

 

撞球室。山小屋風な造り
撞球室。山小屋風な造り

撞球室へ近付く! さあ!

 

さあ、洋館を出て、併設されている和館も通って、

広大な庭に出ます。

 

芝生の上を歩くこと100mほど。

 

撞球室が見えてきます。

 

色合い的には結構地味。

しかし、「スイスの山小屋風」というのは確かに頷けます。

 

欧風建築のレトロな駅舎みたいな感じ。

 

早速、中へ入ります。

 

ここも残念ながら館内は撮影禁止。

 

まあ、良いじゃないの。

 

ビリヤードテーブルの姿を目に焼き付けて

帰ろうじゃないか。

 

穴のないキャロムテーブルかな?

穴のあるスヌーカータイプの台かな?

 

1896年にできた建物ということは、

その時点で長崎の出島にビリヤードが伝わって

40年ぐらい経っているから、

 

もう恐らくビリヤードは

日本でそこまで珍しいものではなかっただろうけど、

 

専用の部屋を設けるなんてことは

財閥パワーなくして考えられなかったんじゃないかなぁ。

 

撞球室の中。(※「建物の中は撮影禁止ですが、ベランダから撮って内部が見えてしまっている写真は仕方ありません」とお目こぼし頂いています)
撞球室の中。(※「建物の中は撮影禁止ですが、ベランダから撮って内部が見えてしまっている写真は仕方ありません」とお目こぼし頂いています)

な、なんと、テーブルはなかった!

 

……そんなことを考えつつ、

敷居をまたぎつつ、視線を部屋の奥へと飛ばした僕。

 

 

????

 

な、ないっ! ないぞ!?!?!?

 

ビリヤードテーブルがない!

 

なんということでしょう……

ビリヤードテーブルはなかったのです!

 

本来テーブルがあっただろうと思われる場所には、

横長のダイニングテーブルが置かれています。

 

実はこれが、天板が載せられたインテリアタイプの

ビリヤードテーブルなんじゃないか!?

 

この際、そうであってくれ!

 

と念じつつ目を凝らしましたが、

 

何度見てもただのダイニングテーブルです。

 

いや、歴史的に貴重なアンティークのテーブルかもしれませんが、

まー、ビリヤード人的にはただのテーブルっすねー(やさぐれ)。

 

(上の写真はベランダから撮った撞球室内部。

 

手前にあるガラスケースに隠れて

ちょっとわかりづらいんですが、

 

奥に窓が2つありますよね。

その手前に横長のテーブルがあります。

 

昔々はここにビリヤードテーブルがあったはず)

 

くっ。

 

せめて名残、名残がほしい。

 

キューラックはどうだ!?!?

 

キューでも良い!

 

チョ、チョークの一欠片でも……!?!?

 

何かないかーー!!!!

 

……必至の形相で家探しする僕。

 

しかし、明治撞球ロマンの面影はどこにもないのでした。

 

ちょ、ちょっと! ガイドさん、どういうことですかっ!

(※大げさに書いています)

 

撞球室と母屋は地下通路で繋がっています。普通に歩いても10秒なんだけど、金持ちはやることが違う
撞球室と母屋は地下通路で繋がっています。普通に歩いても10秒なんだけど、金持ちはやることが違う
嗚呼、残念……
嗚呼、残念……

失われたテーブルは今どこに!?

 

――ないんですね……ビリヤードテーブル。

 

「ええ、すみません。結構多くの方に言われるんですよ。

 

『ビリヤードのテーブルが実際にあるのかと思った』と……」

(ガイドの女性)

 

――あの、横長のテーブルがある辺りに

当時はビリヤードテーブルが置かれていたということですよね?

 

「はい、そのようです。

 

ビリヤードテーブルは長い歴史の中でどこかに行ってしまったようで、

この岩崎邸にないんです。あれば展示するのですが。

 

でも、あの横長のテーブルも歴史のあるものなんですよ。

 

戦後、岩崎邸はGHQに接収されて、その後返還されたんですが、

最高裁判所司法研修所として使われていたんですね。

 

この撞球室も研修施設として使われていて、

あのテーブルはその時代のものなんです」

 

――へええ、そうなんですね………………。

 

(気を取り直して)

しかし、スイスの山小屋風とは良く言ったものですね。

この撞球室の内も外も確かにそんな風に感じられます。

 

「(我が意を得たりとばかりに)そうでしょう?

 

長いことこの部屋は内部の補修が進んでいなくて……

 

ほら、あそこの壁は部分的に黒ずんでますよね?

 

この部屋全体がああいう感じだったんです。

 

それを少しずつ改修していったのです。

 

今まで撞球室は、建物の外から窓を通して覗いて頂く

ぐらいしかできなかったんですが、

 

この度ようやく正式に一般公開できるようになりました」

 

――母屋とこの離れは距離が近いのに、

地下道で繋がっているというのもセレブですね。

 

「はい。その地下道は一般公開されていないんですが、

 

小規模なガイドツアーにお申込み頂ければ

期間限定で地下に入ることもできます。

 

ただ……

霊感体質の方は危険かもしれませんけど(とニヤリ)。

 

以前、そういう方が地下に入った時、

ずっと鳥肌立ちっぱなしの怖気しっぱなしだったそうです」

 

――は、ははあ……そうですか(自分、ビリヤード台を

見て鳥肌立たせたかったんス)。

 

…………

 

こうして、僕は肩を落として一人トボトボと

旧岩崎邸庭園を後にしました。

 

結論:撞球室に撞球テーブルなし! 

 

でも。

 

洋館も撞球室も、さらに和館もお庭も

とても素敵ですので散策にはもってこいですよ

(これホント。近くの東大病院から

「見舞いのついでに」と来てる人も結構いました)。

 

撞球室は原則的に一般開放はされていませんが、

この先も不定期に公開されたりすることがあるので、

興味のある方はホームページなどでご確認ください。

 

……嗚呼、それにしても。

 

テーブルがある完全な姿を見てみたかった!

 

不忍池のハスを見て帰りました(自然は裏切らんのう……)
不忍池のハスを見て帰りました(自然は裏切らんのう……)