〈BD〉「カスタムキューメーカー、いい人伝説」――Detective “K” episode 05

 

オレの名は、K。探偵屋だ。

 

だから皆オレのことをDetective "K"と呼んでいる。

 

ビリヤードの道具、キューの調査なら任せてくれ。

 

師走だ。巷は皆忙しい。

忘年会で球どころではないプレイヤーも多いだろう。

 

ぷるぷるぷる……。

 

今月も、BDからの電話だ。

 

「めっちゃ人がイイ、キューメーカーを

紹介してもらえますか?」

 

何だBD、今度は恋人募集か?

 

「……前回も言った通り、

Kにはキューのことしか依頼しませんよ。

 

素晴らしいキューを製作するメーカーは、

人としても優れているだろうと思ったのです」

 

キューメーカー?

 

ヤツらは職人気質の連中だからな。

 

気難しいとか、

知らない相手からの注文は受けないとか、

一筋縄ではいかないぜ。

 

「それはわかっています。

 

だからこそ、

Kなら人柄のよいキューメーカーを

知っているに違いないと考えた上での依頼です」

 

つまり、お人好しで気前が良くて優しくて

笑顔がステキでテクニックも抜群の

メーカーを紹介すればイイんだな。

 

「……後半は何か違うような気もしますが、

まあそんなところです」

 

わかった、オレはキュー探偵。

引き受けるぜ、その依頼。

 

*****

 

キューメーカー、特に一人で全てをこなす

少量生産メーカーは、その性格が全てに表れる。

 

材料選びに始まり、

キューのデザインや構造、

撞いた際の感触や特性に至るまで全てだ。

 

「一目見れば、あるいは撞いてみれば

誰が作ったキューかわかる」

 

これが、カスタムキューメーカーの

「カスタム」たるゆえんだ。

 

キューメーカーの評判は、

キューそのものや人柄とは関係ない部分で

決まることが多い。

 

ちょっとした誤解や、一部の顧客の不満から

ネガティブな印象が独り歩きすることもある。

 

「気難しい」とは、

そのストレスに対するリアクションであり、

本来の性格ではない。

 

だから、彼らとは

直接会ってみないとわからないのだ。

 

オレの経験を少しだけ話そう。

 

全て語っていたら

時間がいくらあっても足りないからな。

 

*****

 

 

バリー・ザンボッティ

(Barry Szamboti) 

ペンシルバニア州在住

 

伝説のキューメーカー、

ガス・ザンボッティの息子であり、

 

オレをキューの世界に引き込んだ張本人、

いや恩人だ。

 

製作本数は少なく、

市場の売買価格も高止まりしている。

 

まだオレが駆け出しのキュー探偵として

ニューヨーク近辺で修行していた1993年、

初めて会話を交わしたキューメーカーが

バリーだった。

 

素性のわからない人間からの

電話は取らないという評判は聞いていたが、

それでも電話をかけ、必死にアポを取った。

 

道に迷い、遅刻したオレを

バリーは快く工房に迎え入れてくれた。

 

それから、互いのバックグラウンドや

父親に関する会話を交わすこと2時間。

 

キューを注文したいと口に出した途端、

「帰れ」と言われるのが怖くて、

言い出せなかった。

 

だが話題が尽きた頃、

 

「あなたのことは良くわかった。

キューのオーダーを受けよう」

 

という言葉を彼から聞いた瞬間の気持ちは、

今でも忘れられない。

 

そしてバリーはオレの帰りがけ、

意外な行動に出た。

 

「外はもう暗い。

幹線道路の入り口まで、車で先導するよ」

 

たどり着くまで道に迷ったオレを気遣い、

自らの車でナビゲートまでしてくれたのだ。

 

バリーからすれば怪しげな外国人に過ぎないオレに、

これだけ親身になってくれる。

 

「ザンボッティ」で球を撞く時が来る、

と思ったあの日。

オレの人生は決まったんだ。

 

*****

 

 

タッド・コハラ

(Tad Kohara)

カリフォルニア州在住

2013年没

 

タッド・コハラは日系二世のアメリカ人であり、

70年代初頭、日本人プレイヤーが米国西海岸に

遠征してきた際、通訳や試合会場への送迎など

手厚くサポートした。

 

そのプレイヤーたちが

帰国時に持ち帰ったタッドが、

日本におけるアメリカン・カスタムキューの

草分けであり、それゆえ「いつかはタッド」と、

憧れの対象となったわけだ。

 

タッドなしに、日本のカスタムキュー文化は

生まれなかったといっても過言ではない。

 

オレがタッドの工房に初めて行ったのは、

1999年。

 

満面の笑みで迎えてくれただけでなく、

日本茶でもてなしてくれた。

普通はコークやペプシだぜ、アメリカじゃな。

 

しかもその夜、妻のスージー、

息子のフレッドともども

日本食レストランのディナーに招待してくれた。

 

その時話してくれた、

たくさんのエピソードはオレの宝物だ。

 

例えばある日、

白いロールスロイスが工房の前に止まり、

降りてきたフレッド・アステア(俳優)が

キューを買い求めに来た、

なんて逸話が次々と出てきたんだぜ。

 

もっとも、

キューのオーダーは受けてもらえなかった。

 

「日本の業者さんたちから、買ってください」

ってな。

 

筋を通し、義理堅いところは全く日本人なんだ。

 

そんなところも含めて、尊敬できる存在だった。

 

だから、

タッドのキューを所有すること自体が、幸せだ。

今でも、そしてこれからもな。

 

*****

 

 

ACAの面々

(Members of American Cuemakers Association)

 

東日本大震災が起きた2011年3月11日。

 

『スーパービリヤードエキスポ』のため、

アメリカに滞在していたオレは途方に暮れた。

 

国際電話回線はつながらず、

インターネットメールも

相手に届いているかどうかわからない。

帰国しようにもフライトはキャンセルだ。

 

真っ先に日本のため行動を起こしたのが、

エキスポに参加していた、

ACA加盟のキューメーカー達だ。

 

キューメーカーとエキスポ来場者から

義捐金を募ってくれた、スティーヴ・クライン。

 

「フライトがなくて帰国できないなら、

ウチに来ればいい」

と申し出てくれたアンディ・ギルバート。

 

「帰国したらこれを売って募金に回してくれ」

とキューを1本託してくれた

ブラッククリークキューのトラヴィス・ニクリッチ。

 

日本で起きていることを一人でも

多くの人々に伝えようと、

ミーティングで熱弁をふるった

ジェリー・マクウォーター。

 

普段一人か、少人数で製作している

キューメーカーが一致団結して、応援してくれた。

 

みんなイイやつらだって、

オレは知っていたつもりだったが、

理解が足りなかったことに気付いた。

 

*****

 

オレ自身、納期遅れは日常茶飯事、

出来上がったら仕様違い、

果ては代金を送ったのに音信不通や

頼んでもいないキューが出来たので金払えまで、

あらゆるトラブルに遭遇してきた。

 

それでも、オレはやつらが好きだ。

 

なぜって?

 

あいつら、キューメーカーだからさ。

 

性格や人格の良し悪しは二の次。

 

キューなんてものを

一所懸命作れるってだけで、イイ人なんだ。

 

またなんかあったら調べるぜ。よろしくね、BD!

 

(to be continued…)

 

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Detective “K”についてはこちら

 

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