〈BD〉「ビリヤードで関わってくれた全ての方に感謝」――JPBAプロ引退・林研字のラストメッセージ

林研字(Kenji Hayashi)
林研字(Kenji Hayashi)

 

"予定"より約1ヶ月遅れて……


あの選手がプロの看板をおろしました。


JPBA42期生・林研字(宮城)。


プロ8年目となる今年の3月、


引退を決意して臨んだ

『グランプリイースト第1戦』(GPE-1)で

なんと初優勝。


(※その日のBDブログはこちら

※優勝談話はこちら


4月開催の『第2戦』の

決勝ラウンドシード権(優勝者シード)を

与えられた林プロは、


引退を伸ばして第2戦に出場。

9位タイでラストマッチを終えました。


そして、既に4月末をもって

引退しています。


「この数ヶ月、揺れに揺れた」

という胸の内を明かしてくれました。


…………


Kenji Hayashi

1978年9月7日生

宮城県出身・在住

JPBA42期生

2015年GPE-1でプロ入り初優勝

2015年4月でのプロ引退

 

 

――プロ活動、お疲れ様でした。


「ありがとうございます。


プロを辞めてもう1週間以上になりますが、


まずは、

師にあたる先輩選手の方々を始め、

ビリヤードで自分に関わってくれた

皆さんに感謝しています。


ビリヤードで出会った方全てが、

常に自分の学びの源でした。

ありがとうございました。


プロは辞めても

ビリヤードは続けていきますので、

これからもよろしくお願いします」


――引退表明をされてから約2ヶ月、

色々なことがありましたね。


「本当ですね(笑)。


『我がビリヤード人生に一片の悔いなし』

……と言いたいところですが(笑)、


まだそこまですっきりとした

気分ではありません。


プロでいたかったという気持ちは

今でも少しあります」


――未練がある?


「なんと言って良いか難しいですが……

正直言えば、ありますね(苦笑)。


もう過ぎた話ですが、


『3月で引退』は

東北の人にだけ伝えていて、


自分では、

『GPE-1でもし優勝できたら、

GPE-2にも出る』と決めていました。


でも、『3月で引退』の部分が

大きく伝わってしまったようで、

色々とお騒がせしてしまいました。


だから、GPE-1で優勝して

実際にGPE-2のシードを頂けた時、

出るかどうかかなり迷いました。


家族や色々な方に相談もしました。


『優勝した時点で

スパッと辞めるのがカッコいい』


という意見もいただき、

それもわかっていたのですが、


ビリヤードを嫌いになって

プロを辞める訳ではないので、


胸張ってプロとして撞ける場が

一つでも多く残されているのなら、

そこで撞きたい。


……というのが、

最終的にGPE-2出場を決めた理由でした」


――なるほど。


「そして、GPE-2出場に前後して、

もう一つ時間を掛けて

考えていたことがありまして……。


実は、

プロを辞めずに済むかもしれないという

状況が生まれそうだったんです」


――と、言いますと? ……あっ、

何か良いオファーがあったんですね?


「はい。GPE-1の後、

地元(宮城)ではないんですが、


あるビリヤード場の運営元の方から

『うちでやってみませんか?』という

お誘いをいただきました。


本当に有り難いお話だったので、

一家丸ごと移ってやっていこうかと

かなり悩みました。

GPE-2が終わっても悩んでいました。


ですが、

様々な事情からそのお話を諦めました。


まずは家族優先で考え、

地元を離れずに働くべきだという結論に

至りました。


元々、僕が引退を決めたのは、

2人目の子供が生まれたことに伴って

生活を見直す必要があったからです。


そこで、

いただいたお話は泣く泣く断念して、

地元で就職活動をしました。


つい先日、内定が出たので、

6月から働き始めます。

ビリヤードとは関係のない一般の仕事です」


――再出発が決まったのは何よりです。

今後ビリヤードは?


「趣味で続けていきます。


今も週に1、2回はキューを握ってます。


撞くとやっぱり楽しいんですよね(笑)。


いろんなプレッシャーから解放された今、

楽しくビリヤードができています。


試合にもきっと出たくなるでしょうね。


しばらくしたらジャパンオープンなど

大きなオープン戦にまた出たいです」


――プロ活動での最良の思い出とは?


「やっぱり、優勝して一度でも

光を浴びることができた。そのことです。


7年以上プロとして戦ってきて、

プロの世界の厳しさや

優勝することの難しさは

十分にわかっていたので、


1回だけでも優勝できたことは

とても大きなことでした。


そして、一度優勝すると、

『もう一度』ってなるものなんですね(笑)。


……というか、

『1回だけじゃダメなんだなぁ』と

思わされたことがあって」


――それはなんでしょうか?


「ビリヤードに携わっている方でも、


僕がGPE-1の優勝選手だとか、

そもそも、

僕が林研字というプロだということを、


知らない方っていっぱいいるもんだなぁと

気付かされたことが立て続けにありまして、


何回もGPEの東北代表になってますが、

ホント、関東に試合しに来ているだけじゃ

ダメなんだなと。


我ながら『こんなに知名度が低いのか』、

『オーラがないんだな』と思わされまして、


そういう意味でも、

もう一発優勝したかったです(笑)」


――東北地方のプロが減るのも残念です。


「東北のプロは団結力があると思うんで、


そこから離れるのが寂しい気持ちもあります。


今回、最終的に僕が4月で引退するという

結論を出した時も、

他のプロの方々は

暖かく労いの言葉を掛けてくださいました。


感謝の気持でいっぱいです」


――BDとしてもお世話になりました。

センターショットの話、面白かったです。


「あのセンターショットの記録、

誰かが抜いたとかって話は、

BDさんに来てないですよね?(笑)


もしあの記録が破られることがあったら

僕が再チャレンジしますので、

知らせてください。


ありがとうございました」


…………


7年強のプロ在籍期間中、林プロは


みっちりプロ活動ができていた訳ではありません。


震災がありました。


林プロ一家は宮城県多賀城市に住んでいましたが、

住まいは津波で全壊。


ビリヤードどころではない日々がありました。


おそらく、その時も葛藤があったはずです。

ビリヤードを、プロを、続けるかどうかを。


ビリヤードを含め、

マイナースポーツの世界では、


「プロ活動を続けられる環境を作ることが

まずプロ活動」

などと言われます。


「試合には出続けなければ勝てない」

(=だから、出ることが厳しくても

なんとかして出るべきだ)とも。


その言葉の意味と困難さを骨身に染みて知り、

それでも諦めなかったのが、


林プロを始めとする東北のプロ達では

ないでしょうか。


あれから間もなく4年になろうとする

今年の3月8日。


林プロがどのような覚悟を胸に秘めて

GPE-1に臨んでいたのであれ、


優勝は優勝であり、

その輝きは失せることはありません。


しかし、優勝できるほどの腕を持ち、

続けること・諦めないことの

価値を思わせてくれた人が、


背景にどのような事情があるにせよ、

優勝後にキューを畳まざるを得ない現実が、

残念でなりません。


林プロ、お疲れ様でした。

 

…………

 

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