対談:西嶋大策 & 逸野暢晃 (JPBA)

横浜『ハイランド ビリヤード』物語

2016年4月

Mitsuaki Itsuno (left) & Daisaku Nishijima (right)
Mitsuaki Itsuno (left) & Daisaku Nishijima (right)

  

2016年3月31日。

 

横浜ビリヤードの中心地であり、

情報発信基地でもあった老舗、

『ハイランド ビリヤード』が

約40年の歴史に幕を下ろした。

 

そのハイランドに通って20年以上。

 

同い年のライバルであり、戦友であり、

ハイランド所属プロでもあった

西嶋大策と逸野暢晃の2人に、

閉店の5時間前に話を聞いた。

 

ハイランドを運営していたMECCAは、

この春、近隣エリアで新店舗をオープンする。

 

そこへ受け継がれるものもあれば、

持っていけないものもある。

2人の今の想いとは?

 

…………

 

※MECCA新店舗のインフォメーションは

こちら

 

Daisaku Nishijima

JPBA37期生

1976年1月8日生 東京都出身

アマ時代の2003年に『ジャパンオープン』優勝

『グランプリイースト』では優勝5回

他、優勝入賞多数

使用キューはADAM JAPAN

 

Mitsuaki Itsuno

JPBA32期生

1976年6月17日生 神奈川県出身

2001年『ジャパンオープン』優勝

『グランプリイースト』では優勝2回

※前身の東日本プロツアーで優勝1回

他、入賞多数

 

Daisaku Nishijima 2015年GPE-2
Daisaku Nishijima 2015年GPE-2
Mitsuaki Itsuno 2005年中国オープン Photo :  Akira Takata
Mitsuaki Itsuno 2005年中国オープン Photo : Akira Takata

初めは中1。両親とパターゴルフをやりにここへ来ました

 

――まずはお2人の近況から。西嶋プロは昨秋に大病を患ってプロ活動を休止していましたね(※急性大動脈解離と大動脈弁輪拡張症)。もう良くなったんですか? 

 

西 はい。今でも呼吸が苦しくなったり具合が悪くなることがあるんですが、ビリヤードが出来る時は出来ます。まだ少し怖さはありますが、そろそろトーナメント活動も再開しようかと思っています。

 

――逸野プロはトーナメント活動から離れてだいぶ久しいですね(※2006年からほぼ出ていない)。

 

 家業(土木建設業)が忙しくなって出なくなりました。今もずっと忙しいので本格的にトーナメント活動に復帰することは難しいですね。この先も出られる試合があれば出るという感じかな、同窓会的に(笑)。でも、家にテーブルがあるんで撞いてはいますよ。一人で毎日1時間は。

 

西 マジで!?

 

 撞いてる撞いてる。人とやらないから刺激はないよ。仕事柄、自由に外に出るのが難しくなったこともあって出不精になっちゃってますね。ハイランドがなくなってMECCAの新店舗ができるこのタイミングで、気持ちを切り替えられたら良いんですけどね。

 

――さて、ハイランドが今日で閉店します。お2人がハイランドに初めて来たのはいつですか?

 

西 僕は20歳ちょっと前ぐらい? ここの木曜日のウィークリーに出るために。あの頃は月曜から金曜まで横浜・川崎界隈でどこかしらウィークリーがあったので毎日回ってたんです。

 

 ああ、ウェスタンクラブ(※閉店)とか?

 

西 そうそう。月曜がシリウス(※閉店)、火曜がウェスタンクラブ、水曜が一瀬(※閉店)、木曜がハイランド、金曜はメイプル梶ヶ谷……だったかな。5日のうち1回勝てば生きていけるという感覚(笑)。

 

――逸野プロは中学時代にハイランドに来てたんですよね。

 

 そう。中2くらいの時、一人でボウリングをやりに(笑)。もっと言うと、中1の時、両親とここにパターゴルフをやりに来てて、会員にもなってたんですけど、パターゴルフがなくなったんでボウリングに移った。2~3か月はやってたんじゃないかな。そしたらボウリングブームが来てお客さんでパンパンになっちゃって。

 

――で、待ち時間にビリヤードを?

 

 「1時間空いてるからやるか」みたいな。初めは面白いと思わなくて単なる暇つぶしだったけど、徐々に面白くなってきた。

 

――金本さんに取材した時に、「土地柄と場所柄、やっぱり中学生の逸野のことは気にしてた。というか見張ってた」とのことでした。原稿には入れなかったですが。

 

 あの記事、読みましたよ。見張られてる感覚は全然なかったなぁ。当時は金本さんを含めて、KPBAの人が何人か働いてたと思うんですが、金本さん以外の人は僕と撞いてくれたんですけど、金本さんだけは撞いてくれなくてね。「このストップショットが10回連続で出来るようになったら撞いてあげるよ」みたいなことを言われたのは覚えてる(笑)。

 

Katsuji Teruya (left) & Kazushige Kanemoto (right)
Katsuji Teruya (left) & Kazushige Kanemoto (right)

俺の初めての試合の相手、逸野でした

 

――関川賢示プロがいた『エディ』(※閉店)に行くようになったのはその後ですか?

 

 そうですね。当時エディ所属の関川プロが金本さんと撞くためにハイランドに来てて、僕は初めてビリヤードのプロというものを知った。そこからエディべったりになっちゃった。だから、中2から高1までがハイランドで、その後5~6年空いてます。エディ時代は関川さんに色々な店に連れて行ってもらいましたね。CUEもそう、ロリエもそう。そんな頃に大策と試合で当たって……。

 

西 そう。ロリエマンスリーの1回戦。俺が初めて出たビリヤードの試合だよ(笑)。

 

 15か16歳だったよね? 僕がAクラスで大策がBで。

 

西 当時のロリマンは毎月100人ぐらい出てたよね。俺、逸野にボコボコにされ、目も合わせてもらえず、逸野は去って行きました(笑)。

 

 その後、世界ジュニアの代表決定戦では僕が負けました。大会前の知名度はの方が上だったのに(笑)。大策は2年連続で世界ジュニアに行ってたね。

 

西 うん。それで、2年目の西の代表が浦岡(隆志プロ)だった。僕と逸野と浦岡は同い年で、逸野と浦岡は生年月日もプロ期も一緒です。

 

――西嶋プロも逸野プロも、ハイランド所属プロになったという共通項がありますね。

 

西 はい。僕は長くやらせてもらいましたね。

 

 僕らの前に関川さんもなってました。エディにいながら週1でハイランドに入ってたなぁ。それが17~8年くらい前? で、僕がいたのは……

 

西 2005年ぐらいまでじゃない?

 

 そう。僕と大策、かぶってた期間が少しあるよね。あの時、週2は顔を合わせてたかも。

 

――ハイランドでの忘れられないエピソードとは?

 

西 いっぱいあるな。一番笑えたのは、逸野がプロになった直後の……

 

 21~22ぐらいか。

 

西 ウィークリーの日か何かでしたね。当時、逸野はまっキンキンの頭をしてたんですけど、それを見たカネさんが、「お前、プロになったばかりなんだから、その髪の毛なんとかしろ」って言って。

 

 覚えてない(笑)。

 

西 覚えてないの? それに対して逸野、「金本さんだって肌色じゃないですか!」と逆ギレ。

 

一同 (大笑)

 

西 逸野ってそういうの言いそうでしょ?(笑) あれは忘れられない。本当に怒ってたもんな、あの時のカネさん。

 

 でも、俺と金本さんって顔の造りは似てると思うんですよ。並んで写真撮ったら親子みたいだと思う。高2だったかな、初めて銘苅(朝樹。MECCA代表)さんに会った時に言われた一言目が、「逸野くんって、金本さんに似てるって言われない?」ですからね(笑)。内容はともかく、銘苅さんに話しかけてもらったってのが嬉しくて覚えてるんですけどね。

 

横浜ビリヤードの中心地の、進化の過程だと思う

 

――逸野プロのハイランドメモリーとは?

 

 やっぱりフィリピン選手達ですかね。熱い勝負をしたりね。あとは羅立文プロ。

 

西 ああ、ハイランドに来たばかりの羅くんは覚えてる。ひょろひょろで細かった。最初にカネさんから電話をもらったのが俺と高野(智央プロ)で、高野が日本人で最初に羅くんと撞いたんじゃないかな。

 

 プロになる前の大井(直幸)くんを初めて見たのもハイランドの記念トーナメントだった。僕が第一線から離れたのは28か29だけど、ほんとにその直前。大井くんは東京では既に有名だったみたいなんだけど、僕は初めてで、「すごいなコイツ!」と思った。そういう時代時代を彩る選手をここで見られたのは良かったですね。それもこれも、そういう人が集まるだけの試合をやってきた金本さんとかスタッフの力だと思います。

 

西 ですね。俺はハイランドと言えばやっぱりカネさんってイメージ。カネさんと一緒に色々な試合に行ってた時期もあるし、お世話になりましたね。あとはやっぱり(照屋)勝司(プロ)でしょう。

 

――照屋プロ、ハイランド勤務歴10年だそうです。

 

西 勝司を紹介されたのもカネさんから。「今日来たんだよ、沖縄から。一緒に撞いてやってくれよ」って。とにかく球を入れるし、えぐかった。当時はこっちが球を飛ばしたら殺られる感がすごかった。その後、一緒に行動することも増えたんですが、笑えるエピソードもたくさんあります。

 

僕と羅くんと勝司で車で西に遠征に行った時、僕が小田原辺りのどうでもいい山を指差して、「勝司、あれが富士山だよ」って言ったんです。そしたら、「マジすか」って勝司が写真を撮り始めちゃって。「お母さんに送ります」って。それを聞いていた羅くんが、「あれは富士山じゃないよ」って。

 

一同 (笑)

 

――ハイランドが閉まると聞いた時に思ったことは?

 

西 俺は自分の身体がこんなになっちゃってそれどころじゃなかったですね、年明け頃は。

 

 僕は……年齢もあるんですかね、『来る時が来たか』って。10歳20歳違ってたら違う感情なのかもしれないですけど、僕も今年で40ですから。

 

西 俺は以前から、ハイランド本体(ボウリングやサウナ)が苦しそうだなと思ってたから、驚いたということはないです。カネさんとも、『ここがなくなったら、逸野の会社に面接受けに行くか』なんて冗談で話したりもしてたし。

 

 前から口癖にみたいに言ってるヤツね(笑)。僕は僕で「ここがなくなったら、俺か大策が金本さんの面倒を見るから」とか言ってたな。冗談ではあったけど、それを思うとホントになくなるんだなぁという思いは少しある。

 

――喪失感のような?

 

 27年前から来てた場所がなくなるというのは、ちょっとよく考えられないというか……複雑ですね。でも、スタッフにしてもお客さんにしても今までずっと新陳代謝はあって、顔ぶれも変わり続けてきた訳で、そういう意味では結構さっぱりしてるというか、昔がどんなだったか思い出せなくなってもいる。

 

感傷的な気持ちも少しはあるけど、店が無くなるって聞いた時、まず思ったことは、「銘苅さんがどこかで場所を探すだろうな」ですからね。次のことが全然決まってない時からそう思ってたし、実際にやることになって安心した。これで、次が何もなくて本当に終わりだったらセンチメンタルになってただろうけど、そうじゃないですから。

 

『ハイランド』っていう名前が無くなっちゃうことと、場所が変わるのはちょっと寂しいけど、横浜のビリヤードの中心地が進化していく一つの過程なんだろうなって思ってますよ。

 

(了)

 

 

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