船木耕司・JPBFプロ

19回目の全日本選手権

2013年5月

 

2013年5月、船木耕司は遂に念願の

『全日本スリークッション選手権』の

タイトルを手にした。

 

大会を通じて好調に見えた船木だが、

ファイナルの終盤、

「あと10点」が実に遠かった。

 

何を考え、どう腹をくくったのか。

 

激闘から約3週間後、

その心理状態を中心に聞いてみた。

 

取材協力:On the hill !

写真・文:B.D.

 

全日本一本に目標を置いて、他の試合は通過点と捉えた

 

――優勝直後は「実感がない」とおっしゃってました。

 

いやぁ、まだ湧いてこないです(笑)。

 

――達成感は?

 

それはありますね。やっと優勝できたなぁという。

 

――副賞の掃除機は仙台に届きましたか?

 

届いて、女房に取られちゃいました(笑)。「ウチで使うから」と。

 

――(笑)。船木プロは長年「もう全日本を勝つだろう」と言われていました。

 

そうですね。

 

――そういう評価はプレッシャーになっていませんでしたか?

 

それは大丈夫だったんですが、自分自身に問題があって、去年までは入れ込みすぎていましたね。

 

――勝ちたい気持ちが強すぎて?

 

はい。例年、全日本(5月)に向けた準備は前の年の12月頃に始めるんですね。でも、本番で入れ込み過ぎてしまって上手くいかない。空回りしてたんです。

 

――12月から準備ですか。早いですね。

 

ええ。でも、今回はもっと早く、去年の9月ぐらいから準備を始めまして。そうすると、8ヶ月ほどやっているのでだいぶリラックスした状態でスーッと本番に入れました。

 

――去年までは気負った状態で上京してた訳ですね。

 

そうなんです。この気持ちの作り方はダメだなと、去年の全日本が終わってから考えを改めたんです。それで今回は9月から技術の練習をしたり、メンタル面を見つめ直したり、日々コツコツと。

 

――その準備を具体的に言うと? 相撞きではなく一人練習ですか?

 

一人練習が多かったですね。セットを決めて繰り返し撞いて、一つの形が終わったら別の形に移って。

 

――今回のその一連の準備は、他の公式戦でのものとは違うんですか?

 

違います。去年までは他の試合に対してもその都度準備をしていたんですが、今回はそれは止めて、全日本一本に目標を置いて、他の試合は通過点と考えていたんです。

 

――そうでしたか。そして舞台は3年ぶりの成増アクトホール。

 

やっぱりあそこで撞けるのは良いですね。僕はずいぶん前から「一度はここでチャンピオンになりたい」と思ってましたから。

 

座って待っている時は「勝つのは俺だ」と

 

――予選リーグから決勝ラウンド一試合目(ベスト16)の森陽一郎プロ戦までを振り返ると?

 

予選はまず勝つことが大前提でしたが、後の試合のことを考えてコンディションを確かめるショットも撞きました。結構、先球(第一的球)のコントロールが難しいテーブルでしたね。ベスト16は、森プロは技術のある方ですので気持ちで負けないように戦いました。

 

――大会最終日の前夜はどう過ごしましたか?

 

小森先生(小森純一・元JPBFプロ。日本を代表する名手。船木プロが18歳から20歳の3年間師事した)を含めて複数名で食事をしました。お陰様でリラックスできました。

 

――小森さんは何とおっしゃっていましたか?

 

僕が「明日の朝イチ(ベスト8)は梅田さんなんですよ……」と、参ったな的なニュアンスで話をしたら、小森先生は「遅かれ早かれどこかで当たるのだから、心して試合をしなさい」と。

 

――実際、その梅田竜二戦は締まった試合でしたね。

 

梅田さんは誰もが認める日本のナンバーワンで、負けてもともとで向かっていける方。その心理状態が良いプレーに繋がりましたね。

 

――セミ・ファイナルは界敦康プロ。

 

去年の全日本セミ・ファイナルと、今年の『東京オープン』ベスト8でも負けていたので、「リベンジのチャンスだ」と肯定的に考えていました。落ち着いて撞けましたね。

 

――そして2度目の全日本のファイナルです。試合前の心境は?

 

「9月から準備してきてこれで負けたらしょうがない」と。

 

――前回のファイナル(2008年。鈴木剛プロが優勝)の時とは違いますか?

 

全然違いますねぇ(笑)。あの時は心ここにあらずでしたが、今回は地に足の着いた状態でした。

 

――ファイナルの内容、覚えてますか?

 

最後の方は思い出せるけど、初めの方はもう……。出足は良かったと思います。腕も振れていて、テーブルも読めていて。

 

――23キューで船木プロが30-21。あと10点で優勝……というところから大接戦になりました。

 

だんだん手が動かなくなってきちゃって……。それに、この辺りから撞き急いでいたと思います。テーブルコンディションが変わってきてたのに整理できないままプレーしていて、だから当たらなくなった。

 

――プレッシャーは?

 

どうなんでしょうか。今となってはあの精神状態を思い出せないんですよ(笑)。

 

――相手の宮下プロがじわっと追い上げて来ました。

 

「競る展開になるだろう」と覚悟はしていました。でも、それは嫌じゃなかったです。追い付かれても追い抜かれても関係ない。どちらかというと僕は競ったり追い掛けたりする展開の方が好きですし。

 

――宮下プロのことはどう見ていましたか?

 

4月の『小森メモリアル』(ランキング対象外のビッグイベント)で優勝した時ほど調子は良くなさそうだなと。でも、勝負強い選手だから油断はしてなかったです。

 

――船木プロは31キューから6イニング当たりがなく。

 

その頃は頭が真っ白でした(苦笑)。

 

――そして、宮下プロが4点を当てて、一気に逆転3モア(37-34)。

 

そこまで行かれた時に、僕は落ち着きを取り戻しました。その時点で僕は残り6点だったのかな。それならワンチャンスで行けると思っていたし。

 

――強い気持ちでいた。

 

はい。座って待っている時は「勝つのは俺だ」と。

 

――船木プロは、40キューでワンモア(39点)に到達。

 

次の球は「ヒッカケ」で狙う、普段だったらまず外れない球でした。でも、外れてしまって。強く撞きすぎたと思います。

 

――また頭が真っ白に?

 

いや、その時は冷静でした。「必ずもう1回出番が来る」と思って椅子に戻って。

 

――その言葉通りターンが回って来て、運命の41キュー目。時間を掛けて撞きましたね。

 

はい、あの球はあの試合で一番冷静にテーブルを読んで撞けました。

 

――最後の最後で。

 

ええ。3通りの当て方があったんですが、右手が動きづらい状態も考えて2つを切って、切り返し4クッションを選んだんです。上手いこと当てられました。

 

後で写真で見て、あそこまでキューを上げてたんだ、と

 

――当たった直後、キューを高々と掲げました。

 

もう自然とやっていましたね。後で写真で見て、あそこまで上げてたんだと思ったぐらいです(笑)。

 

――それだけ待ち望んでいたタイトルなのだろうと。

 

やっぱり全日本選手権は誰もが目指す大会で、なかなか勝てないですからね。「やっと優勝できた」という感じでした。

 

――その姿を小森先生も見ていました。

 

表彰式の直後に握手をして「おめでとう」という言葉を頂きました。嬉しかったですね。先生はその日はすぐお帰りになられたので、僕が翌日仙台に戻ってからまたお電話をして。先生は「これからも頑張りなさい」と。

 

――全日本のトロフィーは初めて東北に来たと聞きました。

 

はい、初めてだと思います。そのことも含めて勝てて良かったです。

 

――これから先、全日本覇者として注目されますね。

 

選手権者になったことを意識すると良いプレーができないと思うので、今まで通りやるだけですね。どの試合にも緊張感だけは持って臨みたいと思います。

 

――全日本に勝ってやっと「一人前」というような感覚もあるのでしょうか?

 

そう教わったので、やっぱりありますね。小森先生の所で修行していた時、「全日本選手権を獲って初めて人は選手になる。早くあなたもなりなさい」と常々言われていましたので。

 

――ずいぶんとハードルが高い。

 

ええ(笑)。でも、ホントによく言われてましたよ。

 

――4月に小森さんが引退されて、その直後に船木プロが全日本を獲るというのも……。

 

何と言うか、良いタイミングでしたねぇ(笑)。

 

 

船木耕司さんはこんな人→

 

JPBFプロ(1994年度入会)

2008年JPBFスリークッション年間ランキングMVP

2013年『第70回全日本スリークッション選手権』優勝

 

1971年4月7日生まれ。O型・牡羊座・宮城県在住

所属は『ビリヤード フナキ』

スポンサーは『HANBAT CUE』

プレー歴は約25年

 

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