當眞繁信・沖縄の独眼竜

伝説の「隻眼の英傑」に初遭遇

2014年11月

 

「こちらには

すごい大先輩がいるんですよ。

 

沖縄にいらっしゃる間に

ぜひ会ってほしい」


複数の沖縄プレイヤーがそう語っていた

人物こそ、この人、當眞繁信氏だ

(とうま・しげのぶ)。

 

ビリヤード歴50年のうち、

40年以上は隻眼、つまり片目で撞いてきた。

 

しかも、県内トップクラスの選手達が

「片目で撞かせたら世界一と断言できる」

と請け負う腕前を誇っている。

 

沖縄ビリヤード史を語る上でも

抜きにして通れない「偉人」に、

初遭遇初取材を敢行した。

 

 

取材・文・写真/BD

取材協力/ROOTS(沖縄県うるま市)

 

…………

 

Shigenobu Tohma

 

1951年生(63歳)

都道府県対抗・沖縄メンバー8回選出

 

元『センチュリー21』(ビリヤード場)代表


勝負の毎日の中でビリヤードを覚えました

 

――ビリヤード歴は何年になりますか?


「50年ぐらいです。でも、仕事などの都合で撞いてない時期もありまして、実質25年ぐらいでしょうか」


――50年前となると、13歳ぐらいからビリヤードを?


「そうです。当時は学校から帰ったらすぐビリヤード場でした(笑)。毎日の勝負の中でビリヤードの色々なことを覚えていったんですが、自分は覚えが早かったのか、払った授業料は少ない方でした」


――当時の主流のゲームは何でしたか? 相手は外国の方が多かったんでしょうか?


「エイトボールが主流で、後にシックスボールですね。これは手でもすぐラックが組めるからです。その後、ナインボールのジャパン(人数撞き。③⑤⑦⑨が点球)です。最近はテンボールでもやりますね(③⑤⑦⑩)。相手は、僕が若い頃は外国人が多かったです。徐々に沖縄の人が増えていって、沖縄の人間同士でやるようになっていきましたね」


――当時の沖縄のビリヤード場はどんな雰囲気だったんですか?


「今よりもっとこう、入りづらいというか怖い雰囲気があったと思います。今は当たり前にビリヤード場に女の子が来ますけど、その頃は女性がいるのは本当に珍しいことだった。あと、テーブルは『ガリオン』が多かった印象ですね」

 

一番難しいのはレール際の真っ直ぐです

 

――不躾な質問で申し訳ないのですが、右目を失ったのはいつだったのですか?


「20歳の頃、事故で失いました。当然球は入らなくなりましたよ。でも、根が負けず嫌いなんでしょうね、僕は。そこでもう1回、真剣に取り組んだんです。我ながら偉いと思います(笑)」

 

――多くの人が「世界一の片目プレイヤー」と言っています。

 

「はははは。そうですか。でも、自分でも片目でここまで撞ける選手はそうはいないだろうと思っています。やっぱり身体で覚えたということになるんでしょうか。でも、右目を失っていなかったら、もっと球は入っただろうと思ってるんですけどね(笑)」


――片目ですと、遠近感や立体感が把握しづらいと聞きます。ビリヤードは難しくないですか? 例えばフリのある球とか。


「難しいですよ。でも、角度のある球はそうでもないんです。僕が一番難しいと思っているのはクッションレール際の真っ直ぐですね」

 

――それは意外でした。真っ直ぐの球ですか。

 

「はい。この球は、クッションレールが視界に入ることで逆に錯覚しやすいというのか構えづらいというのか、違和感があってとにかく難しいです」

 

――他にも片目だと難しいショットはありますか?

 

「あとは……僕はレストが下手ですね。それは遠近感の問題なのかな。それと、これは人に言われることですが、構えに入った時、キュー先が手球から結構離れているそうです。F・ブスタマンテと一緒かな(笑)」


――最近はどのぐらいの頻度で撞いているんですか?


「週に1回、1時間ぐらいです。最近は身体のあちこちが悪くなってましてね(苦笑)。人と撞いている途中で抜けるのは悪いって思っちゃうから、初めから人とは撞かなくなってますね」


――そうなんですね。身体もがっしりしておられて健康そのものに見えます。何かトレーニングなどは?

 

「いや、プールでウォーキングをするぐらいはしていますが、他のスポーツはやってないですよ。ビリヤードだけです」

 

好きなプレイヤー、それはもうエフレン・レイズです

 

――當眞さんがよく撞いてきた後輩選手と言いますとどなたになりますか?


「今も現役で球を撞いている選手なると、棚原正己選手ですね(※現在は大阪・『タツミ』所属。沖縄育ちの現名人・喜島安広選手の師匠にあたる)。彼は僕の3つぐらい下だったはずです。彼をご存知ですか?」


――はい、先日大阪でお会いしました。沖縄初のプロである故・照屋寛紀氏(1964年生まれ)はどうでしょうか。世代が違いますが。


「ああ、一回りぐらい違います。でも、若い頃同じビリヤード場にいましたし、兄弟弟子のようなものでした。彼がビリヤードを始めた頃をよく覚えています。僕が20代中盤で、彼が坊主頭の中学生でした。生きていたら彼は今50歳ぐらいでしょうか。亡くなってしまったことが本当に残念です」


――そして今年、更に下の世代の後輩達が『都道府県対抗』で優勝し、沖縄に初のトロフィーをもたらしました。


「いやぁ、よくやりましたね。彼らは強いですよ。このメンバーは試合でも結構に上に行くだろうとは思っていました。でも、まさか優勝するとはね(笑)」


――最後になりますが、當眞さんがお好きなプレイヤーは誰ですか?


「それはもうやっぱりエフレン・レイズです。ここ(『センチュリー21』。現在は『ROOTS』)にも2回来てくれたのかな。彼の知識は本当にすごいなと驚きました。球を入れる力だけで言えば、今の日本の若い子もすごいし、レイズ以上に入れる子もいるでしょう。それはそれですごいと思うけれど、レイズのあの圧倒的な知識には驚くしかないです。『ああ、これは段違いの選手なんだなと、じかに観た時に思いましたね」


――とても勉強になりました。ありがとうございました。

 

「いえ、こちらこそ。何でもまた聞いてください」

 

 

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