初めて物語/界敦康プロ編

2014年2月

 

スリークッションでも

アーティスティックビリヤードでも

優勝経験のあるキャロムのトッププロ、

界敦康(さかい・のぶやす。JPBF)

 

日本ビリヤード界きっての

マルチプレイヤーである界の原点は、

 

16歳の時に訪れた地元・愛知の

ビリヤード場。

 

初体験はポケットビリヤードだった。

 

取材・写真・文/B.D.

 

 

――ビリヤード初体験はいつでしたか?

 

「16歳、高1の時です。球撞きを少しやってた友達に、『一緒に行こう』と誘われたのがきっかけです」

 

――出身は愛知でしたね。

 

「はい、名古屋市です。家の近くの『シカゴクラブ』という店に行きました。そこは今、『fat cat』という名前になっています」

 

――誘われた時、どうでしたか?

 

「『面白そう』と思った気がします。僕が小学生の頃、NHKでビリヤード教室を放送してたんですよ。小林伸明先生や町田正プロ(共にJPBF)が出ていた番組で、観ていて興味があったんです」

 

※小林伸明プロは3C世界チャンピオン(1974&1984)

※町田正プロは3C、アーティスティック、バンドゲームなどキャロムのあらゆる種目で優勝・入賞多数のオールラウンダー

 

――初めてのビリヤード。何をしましたか?

 

「ナインボールをやったはずです。まあまあ最初から球が入って、すぐ『面白い』と思って」

 

――日を空けずにまた行った?

 

「そう。数日後に行って、上級者のマネして押し球と引き球をやった気がします。今考えると、花台(※上級者の常連向けのテーブル)で撞いているような人達を初めから観ていたなぁ」

 

――すぐに引き球まで。早いですね。

 

「ビリヤードを始めてすぐに教則本を買ったんですよ、それで『手球の下を撞くと引けるのか』ということがわかって、『やるぞ、引き球!』と」

 

――引けました?

 

「結構引けたんですよね、最初っから(笑)」

 

――天性のキュー切れの持ち主でしたか(笑)。当時と今とではフォームやストロークは違いますか?

 

「全然違います。昔の写真を観るといかにもポケットビリヤードの構え。頭の位置が低くて、右肘がピンッと立っていて。そこからだいぶ変わりましたね」

 

――競技志向になるまでは早かったですか?

 

「早かったなぁ。ほんと初体験の数日後だったんじゃないかな。お店のマスターが、『一緒に撞こう』と誘ってくれたんですよ。ナインボールをしたらマスワリ4連発されて。それで『これが本当のビリヤードか! 面白い!』と」

 

――それは衝撃的ですね。

 

「そこからですね。センターショットやボウラードを無限にやるようになったのは(笑)。練習、好きでしたね」

 

――お話を聞いていると、上達しやすい環境だったようですね。

 

「付近に大学が多く、上手い学生がいっぱいいるお店でした。ハタチそこそこでA級なんて人も多くて、よく教えてもらってました」

 

 

――学業の方は?

 

「高校はなんとかギリギリで卒業(笑)。クラスメートは知ってましたね。『界がいないなら球屋だ』と(笑)」

 

――(笑)プロになるということは?

 

「全く考えてませんでした。というより、18歳でA級になって、ある程度『やった感』があったんです。ただ入れ倒してただけですが」

 

――でも、愛知って強いプレイヤーが多いですよね。そこで18歳でA級というのはなかなかの強者かと。

 

「今もそうだと思いますが、確かにあの頃の愛知のレベルは高かったと思います。当時はまだ、JPBAの所勘治プロや星勝士プロがアマチュアで。あと、高木まき子プロと撞いたこともあります。僕はちゃんとしたタイトルは獲ってないんですが、3年でそこそこ撞けるAクラスにはなれたかな、と」

 

――それでスリークッション(3C)へ?

 

「実はシカゴクラブには、古い3Cテーブルが1台だけあったんですよ。ヒーターも無いような台でしたけど。ポケットのB級だった17歳の頃から、遊びでたまにやってたんです」

 

――その時は何点選手でしたか?

 

「6点とか8点とか(笑)。でも、これも本を見て、『このクッションシステムで狙うのかな?』とか計算もしてりして、楽しくやってました」

 

――どのように本格的なキャロム選手になったのでしょう?

 

「だんだん3Cが面白くなってきたので、『東京で腕を磨こう』と考えて高校卒業後に上京したんです」

 

――誰か頼れるあてがあったんですか?

 

「いや、特にはなかったんですが、目黒に住んで色々な球屋を回ってました。で、行き着いた先が小林伸明先生の所(新大久保・『ビリヤード 小林』)。それ以来、先生には本当にお世話になりました」

 

――上京した頃の腕前は?

 

「16点だったかな? いや、驚きましたよ、東京に来て。それまで22点とか24点ぐらいの人が僕の中での最上級だったんですけど、30点オーバーがザラにいましたから(笑)」

 

――小林伸明プロと初めて撞いた時はお客さんとして?

 

「そうです。撞いてもらいたくてお店に伺って。僕が16点で先生が確か50点でした。先生、13キューで上がりです。もう衝撃的で」

 

――すごい……。

 

「これは僕の信条になりました。僕は今も、特に初めての方とプレーする時は全力で上がることを心掛けています。『3Cはこれだけ当たるものなんです』ということを見せたいですからね」

 

 

――ポケット、3Cときて、次の「初めて」がアーティスティックビリヤードですね。

 

「20歳ぐらいの時、町田プロのお店『チャンピオン』(東京・八王子市)に行ったら、町田プロがアーティスティックを撞いておられて、『面白そうだな』と。特にマッセの『ジョナサン』というショットが魅力的で」

 

――それですぐやるように?

 

「そこまで積極的ではなかったんですが、すぐ後にチャンピオンで勤務することになったので、もう自然な流れで(笑)。やはり町田プロのお店なので、アーティスティックが練習しやすい環境なんですよ」

 

――ポケット、3C、アーティスティック。全く異なる競技に思えるのですが、界プロはどう考えているのですか?

 

「ゲーム性が違うだけで、丸い球を撞くという基本は全て一緒だと考えています。そして、そのゲーム性の違いが個々の種目の面白さになっています」

 

――今はキャロムのプロとしてスリークッションに専念なさっていますが、ポケットビリヤードを撞くことは?

 

「ありますね、今でも。長い時間ではないですが」

 

――どの競技種目が一番好きなんですか?

 

「そういう順番は特にないですね。どれも好きですよ」

 

――最後に。2012年にビリヤード場のオーナーになりました。今の姿は10代の頃に想像できていましたか?

 

「いやぁ、全くですよ。球屋のオヤジだけはやることはないだろうって思ってましたから(笑)

 

――そうだったんですね。

 

「僕が勤めていた『BIGBOX』(東京・高田馬場。2012年閉店)が、もしまだあったとしたら、ずっとあそこにいたでしょう。あそこで働いている時は、自分で店をやるなんて発想もなかった」

 

――では、なぜ?

 

「あそこがなくなるという時に、『やるなら今しかない』と思ってしまったというか(笑)。『年齢的にもやるなら今だろうと」

 

――迷いもあったでしょうね。景気が良いとは言えないビリヤード業界ですから。

 

「正直、止められましたよ、奥さんにも先輩にも(笑)。『なにも今じゃなくても』と。でも、成功・失敗関係なく一度は挑戦したいと思ってしまいました」

 

――実際に約1年以上やってみて、どうですか?

 

「やっぱり大変でした(笑)。でも、お陰様でなんとかなってはいます。流されてこうなった、という言い方は変かもしれませんが、今は『球屋のオヤジになるのが自然な流れだったのかなと思うことがありますね」

 

 

界敦康プロはこんな人→

 

日本撞球界きってのマルチプレイヤー。

2013年JPBFプロスリークッションランキング2位。

アーティスティック世界選手権3位

全日本アーティスティック選手権優勝多数

 

1974年8月29日生まれ。

愛知県出身&東京都在住 A型、乙女座。

JPBF(日本プロビリヤード連盟)1996年度入会。

所属・スポンサーは、

Sasaki Cue、斬タップ、Tiger Cue、MARS(笹塚)